アナザースカイ 今田耕司、青春の頃、釜山、2019.03.22放送

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大坂からスタート

今回はMCの今田耕司さんがゲストになって、アナザースカイを紹介。
釜山での思い出を語る前に、大阪での下積み時代にタイムスリップしてから番組がスタートしました。
番組の前半部分が大坂での話題が中心となっているので、いつもと少し違った感じです。
いつもは番組が始まってすぐに海外の映像が画面に出てきて、海外気分を味わえますよね。
でも、今回は国内の映像が最初にドドドッと出てくるので、お笑い番組的な雰囲気が漂っている感じです。

道頓堀を歩きながら、

「21歳くらいちゃう、毎日ウロウロしてた」

そして、思い出の「心斎橋2丁目劇場」へたどり着く。

この心斎橋2丁目劇は、バブル景気がまだ残っていた1986年にオープン。
ダウンタウンをはじめ多くの芸人がここから巣立っていきました。
1999年に閉館。

「ダウンタウンはここで天下をとった」

今田さんはダウンタウンにあこがれて、ここに毎日のように通ってたそうです。
この街で芸人人生が始まった、と強い思い出が残っているのが心斎橋2丁目劇場です。

ゲストとしては初めて

日頃はMCをしている今田耕司さんがゲストになるのがは今回が初めてです。

「11年やってって初めてのゲスト」

と少し緊張気味の様子ですね。

ところで今田さんの肩書は?

と聞かれると

「芸人です!」

と自信を持って言っています。

その真意としては、

「漫才でもなく、落語でもない、自分の中で芸人っていいいのかな!?」

「でも舞台に立っていたいから芸人」

芸人人生をスタートさせた、心斎橋2丁目劇場の舞台が今田さんの原点なのですね。

西成区へ

今田さんが心斎橋2丁目劇場に出ていたころ住んでいた部屋へ。

33年前に暮らしていた西成区は今も当時の雰囲気を残しています。

見知らぬ人がいきなり今田さんに声をかけてきて、それに反応する瞬間に緊張が走ります。

今田さんがちょっとにやけた顔で発した言葉が、芸人の本能を表現しているのではないでしょうか?

「今の絡みみました?」
「人が忘れているような野生的な雰囲気」
「あそこのいなし方が関西」

西成区に暮らしていたことが、今田耕司さんの芸人として幅を広げてくれたのかもしれませんね。

当時酔っぱらって帰った部屋を見せてもらうことに。

中抜けのマンション通路を歩いて、部屋に入ると、今田さんが酒をやめたきっかけを教えてくれました。

ある日、酔っぱらって松本人志さんに部屋まで入れてもらい、目が覚めると、紙に書かれた言葉で心が入れ変わったそうです。

「お前、ええ加減にせないかんで」

とんかつ屋で

当時よく通った「とんかつ一番 天下茶屋本店」では、東野幸治と松本人志さんと待ち合わせしていたそうです。

大好物が「おろしヒレかつ」。

ボリューム満点のとんかつは若い時に食べたから旨かった!?

いやいや、今の年齢でも旨いのは変わらないそうです。

30年たったいまでも忘れない味だからこそ、今でも旨いのでしょうね。

その味が当時の自分がよみがえられせてくれるのではないでしょうか?

味というのは不思議なもので、昔のその時にタイムスリップさせてくれますからね。

プロフィール

今田耕司
いまだ こうじ
1966年3月13日生まれ
大阪市出身
お笑いタレント、司会者
1985年4期生として吉本総合芸能学(NSC)に入学
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属

挫折を味わう

1年目からダウンタウンと一緒に出て、今田さんは天狗になっていたそうです。

「俺がおらな!!」

自分の存在感を全面的に自分で肯定していたわけです。

自信過剰な自分がそこにあったのでしょう。

ところが、

「ダウンタウンが上京後、自分が残っても浜田さんのように対応できなかった」

強烈な挫折感を味わって、そこで目の色が変わったのです。

負けずにがんばり、ダウンタウンに数年遅れて、上京を果たしたわけですから、さすが今田耕司さんですね。

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釜山へ

ここでようやく海外の映像が出てきました。
今回のアナザースカイは韓国釜山。
正直なところ、ここまで番組をみてきて、国内の話で終わってしまうのか?とちょっぴり寂しい思いでした。
そこはアナザースカイですから、海外の映像がしっかりと出てきてひと安心です。

今田さんの初めての海外

今田さんが初めて海外へ行ったのが釜山だそうです。

韓国の日本語学科の大学生たちからの招待でした。文化交流の一環として、日本のお笑いが選ばれたそうです。

ダウンタウンらと一緒にフェリーで21時間の揺られて、釜山に到着したときは、さすがに疲れていたらしいですね。

交流イベントが行われた釜山市内にある劇場( 釜山カトリックセンター)へ足を運ぶ。

30年ぶりの劇場に入ると、今田さんが当時の自分になった気分のようです。

「覚えているわ」
「低いのが特徴的な劇場」

当時の映像が残っていて、それをみながら自分も笑う今田さん。

ダウンタウンの韓国語コントでは自然と笑わせてくれます。
さすがダウンタウンですね。

今田さんは、釜山では全然うけてなかったイメージが強いそうです。

それでも映像をみると、結構観客は笑っているので、かなりうけていたのではないでしょうか?

三五亭(サモジョン)へ

当時芸人たちと食べた釜山のお店で、料理が出て早速うけねらい。

「出た!ウマいまだ!」

そう言っていると、サプライズゲストのホンコンさんが登場。

ホンコンさんとの思い出は焼肉だそうです。

今田さんたちは焼肉を食べていたのに、

「東野とおれら(ホンコン)はプルコギ を食べる 」 はめになったとのこと。

理由は鉄板がなかったからだそうです。

当時はプルコギのことをよく知らかなったので、焼肉のほうがよかったみたいですね。

ホンコンが相方に!?

今田さんとホンコンさんは「ダブルホルモンズ」という名前で組んだことがあるそうです。

でも、結成してから8か月で解散に。

いつも遅刻する今田さんが、自らを究極のダメ人間に思えてしまったそうですね。

それを気にして解散したらしいです。

ターニングポイント

今田さんは「最初のオーディションを受けたときから、周囲から動かされるタイプ」だと、思っていたそうです。

でも、ただ回されていたのでなく、自然と研磨されていったのではないか??

というのがターニングポイントになっているようですね。

流れに身をまかせることに慣れていながらも、矜持はしっかりと持っている。

「ずっとギリギリだったので、今田を見せないし、悟られもしない」

ここに今田さんの真骨頂があるのではないでしょうか?

今田耕司のアナザースカイ

そこに大切な一言が加わるのです。

『ガマン』

「ガマンをうまく共有する」
「自然と真逆の不自然体」
「尊敬した人がガマンしていたから」

芸人はステージではガマンすることが大切だそうです。

ホンコンさんは今田さんのことを曰く、

「あいつはちゃらけなやつではない」

今田さんのポイントをつかんだ表現ですね。

そして、今田さんがやってきことは、

「僕は真剣にふざけているからこそ」
「本気でふざけて、がまんしてたどり着いた場所」

釜山は今田さんにとって「青春」ということになるのでしょうね。

中条あゆみの初体験

ところで、今回の番組はMCの中条さんがいつもの今田さん役になっていましたね。
中条さんは「回しがうまくできなかったのではないか?」と心配していました。

中条さんが今田さんに

「まわしはどうでしたか?師匠」

すると今田さんは、

「100点」

と答えていました。

こういうところに今田耕司さんの優しさが表れているようですね。

アナザースカイ Ⅱ にリニューアル

2019年4月5日放送分から番組がリニューアルし、「アナザースカイ Ⅱ 」に改題となります。
内容は今まで通り、第二ふるさとやあこれがれの場所でゲストが自分の体験談を語ります。
リニューアル後は、MCの今田さんや新MCの広瀬アリスさんも外へ出て、ロケに加わる機会が増えそうですね。
→ 「アナザースカイⅡ」にリニューアル