14年ぶりのデンマーク
日本のゴールキーパーとして活躍した川口能活選手の名前が人生を表現しています。
MCの今田さんが「能力を活かす」という名前に感心していましたね。
ただ本人曰く、「のうかつ」とか、「のりかつ」などと呼ばれることが多かったそうです。
サッカーに関して言えば、名前通りのサッカー人生を送ったことは誰もが認めることでだと思います。
デンマークの首都コペンハーゲン北へ車で30分ほどのところにあるファルム。
ここで川口さんは2年間FCノアシェランに所属して暮らしていました。
川口能活さんは2018年に現役を引退するまで25年間サッカー選手として活躍。
川口さんにとって、このファルムでの出来事は今では人生の指針になっています。
今回のアナザースカイはここファルムです。
晴れやかな選手生活
現役25年。
ワールドカップに4度出場。
2001年、イングランドのポーツマスFCに参戦。
当時、日本人ゴールキーパーとしては初めてのヨーロッパ移籍として話題になりました。
2003年から1年半、デンマークのFCノアシェランに移籍。
デンマークでの生活
川口さんが用意してもらった部屋の隣に自転車屋さんがあって、そこで自転車を購入したそうです。
自転車で移動してたんですね。
ちなみに、川口さんの部屋が2階にあって、1階がゲーセンのようなお店があったので、深夜まで音がうるさかったようです。
それでも、プロ選手として、睡眠をしっかりとっていたんですから、プロ意識が高かったのでしょう。
奥さんとの出会い
川口さん奥さんは日本でデンマーク関係の仕事に携わっていたそうです。
日本に帰国したときに今の奥さんと出会い、奥さんがデンマークに引っ越して、結婚したとのこと。
1年半のデンマーク暮らしが川口さんの人生にとってターニングポイントになったことは間違いありませんね。
見方によっては、1年半というのは短い期間です。しかし、それが川口さんの人生を左右する大きな転換点になったのです。
食が合う
日本人がほとんどいないデンマークで、現地料理が川口さんの好みに合っていたこともよかったようです。
ケバブ屋さんでピタチキンを食べる川口さん。
ケバブのサイズが超デカイ!!
現役当時はそのビッグサイズを2つ食べていたそうですから、それだけ激しい練習をしたのでしょう。
日本料理店が心の支えに
コペンハーゲンにある日本料理の多門さんという方がいたこと心の支えになったとのこと。
日本人がほとんどいない国で日本料理店を営む人に出会えたことで、安心感を持てたのではないでしょうか?
川口さんは多門さんのお店に通うことが当時の唯一の楽しみで、折詰弁当を持って帰って食べたことが今でも忘れられないそうです。
14年ぶりに多門さんに再会して、結婚を報告。
川口さん曰く、
「お世話になった人に感謝の気持ちを伝えたかった」とのこと。
この言葉からも川口さんの人間性が垣間見らますね。
常に周囲の人たちに感謝してサッカーをしてきたからこそ、活躍できたのでしょう。
アートとサッカー
デンマーク滞在中に当時よく訪れたところが美術館。
川口さんはデンマークで建築やアートに興味を持つようになり、美術館に何度も足を運んだそうです。
そこで分かったことは、
「無駄がない」
「きれいな絵は無駄がない」
「無駄がないときれいに映る」
無駄がないプレーも美しい、という共通点に気付くきっかけになったとのことです。

プロフィール
川口能活
かわぐち よしかつ
1975年8月15日生まれ
静岡県富士市出身
元プロサッカー選手
日本代表ゴールキーパーとして活躍
清水市立商業高等学校(現静岡市立清水桜が丘高等学校)卒業
1994年横浜マリノスに加入
2001年ポーツマスFC(イングランド)に移籍
2003年FCノアシェラン(デンマーク)に移籍
2005年ジュビロ磐田に移籍
2014年るFC岐阜に移籍
2016年SC相模原に移籍
2018年引退
中村俊輔さんの言葉
ここでサッカー選手の中村俊輔さんビデオで番組に登場し、当時の川口選手のプレーをみて、それを「センス」と呼んでいます。
スポーツにおける芸術的なプレーには無駄がないということですね。
ただ、さりげないプレーであっても、何千回もプレーしてきているわけです。
そこが一流選手の底力なのかもしれませんね。
中村さん曰く、「川口さんは海外にいって帰国して余裕がでた」そうです。
きっと、デンマークで培われたものがその後のプレーに余裕を生んだのではないでしょうか?
キーパーソンとの出会い
クラブで共に戦ったコーチ兼ゴールキーパーのジョンさんの存在が大きかった。
ジョンさんは川口さんの緊張の糸をほどいてくれた人です。
川口さんがサッカー人生で初めて挫折を味わったのがヨーロッパ。
ヨーロッパのプレースタイルの違いを強く感じて、修正するのに時間がかかった。
そのことで、自信を失いつつあったそうです。
そんなときの大恩人のジョンさんに出会い、悩みを伝えることができた。
いつも助けてくれたジョンさんに川口さんの印象を聞く。
・どんな選手だったか?
「とてもプロフェッショナル」
「食事、睡眠、体調管理、全てに意識が高かった」
「それが他の選手に影響を与えた」
FCノアシェランに移籍して、結果がでない時、ジョンさんからの一言が見方を変えるきっかけになったのです。
「人生は楽しんだらどうだ・・・」
その後、練習を楽しみながら、選手と取り組むことで状況が変わっていったそうです。
当時を振り返り、川口さんは、
「ストイックな性格で動けない自分をジョンの言葉が救ってくれた」
と言っています。
この言葉が川口さんにとってアナザースカイだったのでしょう。
ジョンさんの手料理
2004年8月に29歳の誕生日で招待しもらって以来のジョンさん宅訪問。
昔は小さかった子供たちがも大きくなったのには川口さんが驚いていました。
MCの今田さんも、「息子は貫禄がついた」とすかさずコメントするほどです。
確かに、3人の息子さんの内、長男さんはもうお父さんのようです。
ジョンさんがデンマーク料理を作ってくれてみんなで食べる様子は家族そのものです。
川口さんにとってデンマークには第二の家族がいるというのが、画面を通じて伝わってきました。
キーワードは楽しむ
「もっと楽しんだらどうだ」
当時の日本代表監督のジーコさんから召集されても最初は出番がなかった川口さん。
楢崎選手がケガをしたため自分にチャンスが回ってきたとき、ジョンさんの言葉が支えとなった。
結果はアジアカップ準々決勝PK戦で3本のPKを阻止。
その時を振り返り、余裕をもって望んでいたそうです。
「プレッシャーと楽しむことの精神的バランスがよかった」
と川口さんは語っていましたね。
それにしても、3本のPKを阻止したときの顔が、ものすごい顔をしているのに、川口さん自身も驚いていましたね。
それだけ、自分のサッカー人生を賭けてボールに集中していたのでしょう。
デンマークで苦労したことが、このの試合につながり、結果として報われたわけです。
川口さんにとって、デンマークは困難な状況でも楽しむことの重要さを教えてくれた場所です。
もしも、デンマークでの体験がなかったら、2018年に引退するまで、現役サッカー選手として長くプレーができなかったもしれませんね。
また、プライベートでも奥さんと出会ったきっかけになったのもデンマークです。
デンマークに行かなかったら奥さんに会っていなかったでしょう。
公私ともにデンマークは川口さんにとってアナザースカイだったのです。

次はコーチに
川口さんが目指す次のステップはもう決まっているようです。
川口さんにとっての次なるドリームは、ゴールキーパーコーチになって、そしてヘッドコーチなることだそうです。
コーチになったら、「己を律する術を知る」ことの大切さを教えていきたいとのこと。
特に、海外に出ることで考え方が広がり、目標設定も確実にグレードアップするため、選手たちには海外に行ってほしい気持ちもあるようです。
ただ、海外での体験自体は、そのときに何もないかもしれないけど、何年か経ったときに財産になることだけは、間違いないとのことです。
最後に、MCの今田さんから質問
「どういう指導者に?」
川口さん、
「苦しいときに力を発揮できる選手をつくる」
「熱い指導者になる」
今田さん
3本のPKを阻止したときの顔にこだわって、
「指導者になったときにあの顔になったら怖いでしょうね」
と笑いを誘って番組終了。
番組で流れた曲(BGM)
川口能活さんのアナザースカイの中で流れた曲で、未来を見つめられる曲をご紹介します。
Red Hot Chilli Pipers – Wake Me Up (Avicii)
Post Malone, Swae Lee – Sunflower
Just another holiday?
How will you explore Copenhagen?
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