5年ぶり
世界的な建築家隈研吾さんは、5年ぶりの出演となった今回のアナザースカイ、
国立競技場に話題だけでなく、そのきっかけとなった高知での体験を語ってくれました。
隈先生は、1986年に32歳で独立し、歌舞伎座、根津美術館、北京の三里屯SOHO、イギリスの美術館V&A Dundeeなど、世界各地で仕事をされてきました。
最近では、国立競技場や高輪ゲートウェイ駅などに携わっている。
世界で活躍する建築家として多忙な中、アナザースカイに出演してくれるのはとても貴重なことです。(筆者)
風を計算
現在は、CLT(Cross Laminated Timber)を駆使した建物にこだわっている。
※CLTとは
http://clta.jp/clt/
国立競技場いついて、
MCの今田耕司さん、
「あの規模の大きさで、木材使うというのは凄い」
隈さん、
「世界でも珍しい」
「あそこの外苑という場所で風のシミュレーションをして、1年間にどの季節などの風向きか?」
「ビッグデータがあるんですよ」
「夏の暑い時期の風向きが、観客席をうまくなめて、気持ちよく感じられるように計算してある」
今田さん、
「快適に過ごせる建造物っていうのは、これからどんどん必要になってくるでしょうね」
隈さん、
「コロナでいよいよね、風通し、換気って言い始めたじゃないですか?」
「これからその方向に加速すると思いますね」
東京で夏のオリンピックという過酷な環境の中でも、快適に過ごせることを計算し尽して建てられたことを、初めて知りました。(筆者)
プロフィール
隈 研吾
くま けんご
1954年8月8日生まれ
神奈川県出身
建築家、デザイナー
建築に目覚めた頃
1964年の東京オリンピックで見た丹下健三氏の設計の代々木競技場水泳場だった。
当時10歳の隈さん、
「レベル違うな」
と感じたそうです。
そして、50年後に自分がオリンピックの国立競技場を設計することになった。
わずか10歳で建物の違いを感じられるというのは、建築設計のために生まれてきたと言っても過言ではないのではないでしょうか?(筆者)
アナザースカイは高知県
新園舎の壁がCLTで建てられている。
梼原町(ゆすはらちょう)
30年前にこの町に出会ったことが今につながっている。
<http://www.town.yusuhara.kochi.jp/>
隈さん、
「丁度、四国山地の一番上なんでね、『雲の上の町』なんて言い方するくらいに、秘境感あります」
2006年、町役場を設計。
梼原町との縁
バブル経済が盛んだった80年代、30代で独立、仕事がたくさん舞い込んできた。
隈さん、
「1991年、(バブルがはじけて)全ての東京の仕事がキャンセルされて」
「友達に誘われて、『古い木造の芝居小屋が壊されそうだから応援にきて』と行った町が梼原」
そして、6棟の建築が隈ワールドとして観光施設のようになっている。
町長が変わっても30年間ずっと、町に携わってこれたというのは、町からの絶対的な信頼があるからこそです。そのような場所こそアナザースカイなのではないでしょうか?(筆者)
職人との仕事
バブル時代は、職人と仕事する醍醐味を知らなかった。
30年前に出逢った職人が、和紙職人のオランダ人ロギールさん。
民宿いちょうの樹
東京大学特別教授として、学生を連れて訪れた。
<http://www.town.yusuhara.kochi.jp/kanko/stay/ichonoki.html >
隈さん、
「都会で考えている時と、梼原で仕事始めてから、自分自身も変わった」
「9割の森と10%しか平らなところがない、比率みたいなものが作った、力強くて優しいものがこの谷の周りにある」
「そこが魅力」
木造の小屋
ゆすはら座(1948年)
<http://www.town.yusuhara.kochi.jp/kanko/spot/entry-1236.html >
「バブルの時代は古い建築を一杯壊しちゃった時代だったから」
「こういう建築が残っているだけで凄いと思った」
「その頃、木造にとりわけ興味がある訳じゃなかったけど、自分が生まれ育った家と同じ質感がある家だな」
「懐かしい気がした、凄いカッコいいと思った」
自分が育った環境と似ていることで、全く別の世界なのに何か感じることはよくあるのではないでしょうか?それを敏感に思うか思わないかの違いで、行動も違ってくるのかもしれません。(筆者)
小径木文化
隈さん、
「太くない木を上手く使って作るというのが、日本の木造の特徴」
「だましだましして、強くて長持ちするものを作るのが日本の知恵」
「中国や韓国の木の使い方は、小径木でないから、森林がバーっと無くなっちゃった」
「日本は森林率がこれだけ高くいられるのは、小径木文化を守ってきたから」
「コンクリートは、近代の象徴、お金持ちの象徴みたいな感じになっていって」
「こういう(木造の)建物の方が、本当の意味での豊かさがあることを、感じる人が90年代に増えていった」
「日本の歴史の転換点が90年代だったんじゃないか」
本当の豊かさとは何か?を建築の視点からしっかりと見つめていらっしゃるのが、良くわかります。確かに、使い込まれた柱に寄りかかって、座ったりすると、何故か心の奥底からリラックスできるのも、木だからこそなののではないでしょうか?(筆者)
雲の上のホテル
隈研吾さんにとって、初めての本格的木造建築が雲の上のホテルだった。
<https://www.kumonouegroup.com/hotel >
隈さん、
「(当時)都市の中で、都市の人間の為だけに仕事してたけど」
「初めて自然というものに出逢って、その感動を形にしたい、『がむしゃらにこんな感じ』っていう感じでね」
「青春そのものの感じがしますね」
材料革命
隈さん、
「今ね、ある種の材料革命が始まったばっかしだと思う」
「日本の戦後にね、都市を早く大きく作ろうと、コンクリートの方が地震にも強くて燃えない」
今田さん、
「どうしても木を使うと、森林伐採とか、いろんなこと想像しちゃうんですけど」
「逆なんですね」
隈さん、
「木は二酸化炭素を貯められるから、地球温暖化を防げる」
「(間伐で)森林もいい状態に保って、洪水とかも減らせる」
「そういう事が分かってきて、世界中で2000年の前位から、木のブームが始まる」
「ブームが始まると、技術がくっついてくるから」
「鉄筋は鉄筋の良さがあるから、いろんな所で(木と鉄筋と)組み合わせてやっている」
今田さん、
「それがまた現代的でいいんですよね」
時代とともに建築も変化するためには、材料が重要だということを理解させてもらいました。常に新しいものへ挑戦するには、素材に目を向けないといけいない訳です。(筆者)
年を重ねて
木を使うと年を重ねる毎に、印象が違ってくる。
隈さん、
「人間と同じように、その年なりにいい味が出てくると思います」
「いつまでもピカピカで、ツルツルだっていうのは、工業化社会のある意味美学でだった」
「それはね、凄いストレスになっていると思う」
「大きな自然の流れの中に飲み込まれていく、こうやって建築を造ればいいんだ」
「大きな自然に逆らわないで、上手く飲み込んでいければいいんだ」
「梼原で学ぶことができた」
10.5センチの幅
国立競技場
<https://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/>
国立競技場で使われている木の幅は10.5センチ
「日本で1番たくさん流通している、みんなが見慣れて懐かしい寸法が10.5センチ」
「10.5センチで(国立競技場)全部一周囲っている」
今田さん、
「一緒に経年変化をしていく」
隈さん、
「経年変化をして美しくなるように、微妙に最初から少し色を付けている」
今田さん、
「年月が経てば経つほど、その年に見る国立競技場が変わってくる」
隈さん、
「それぞれのその時の状況と、その時の国立競技場の姿が、記憶されていくといいな」
物差しみたいな場所
隈研吾さんにとって、高知県梼原町は物差しみたいに、
「いろんな所で大きい建築を作る時も、梼原という物差しを忘れないようにしよう」
「自分がずれてないか?を忘れないようにする物差しです」
見逃したときについて
こちらで、見逃したときにどうすればよいか?を説明しています。
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