アナザースカイⅡ 三浦瑠麗、心が安らぐ場所、軽井沢、2020.11.06放送

毅然とする

今回のゲストは国際政治学者の三浦瑠麗さんです。

MCの広瀬アリスさん、

「男性の中で女性が・・・」

MCの今田さん、

「大変じゃないですか?」

三浦さん、

「大変です」

毅然とし、母なる優しさを持ちながら、核心をついた発言を行うその姿からは、男性の中で大変な苦労をされているように見えます。(筆者)

プロフィール

三浦 瑠麗
みうら るり
1980年[5]10月3日生まれ
神奈川県出身
国際政治学者

シンクタンク

2019年に衆議院会館の裏にオフィス(山猫総合研究所)を移転し、三浦さんの夫と同じフロアーで働く。

三浦さん、

「オフィスを構えてからインタビューとかこっちに来てもらえるようになったんで」

時間を有効に使えるようになって、更に仕事量が増える。

ストレスはある!?

三浦さん、

「ストレスないわけではないじゃないですよ、そこまでモンスターじゃないけど」

どんなにタフな人でもストレスが無いわけではないので、どこかでリラックスすることが必要です。三浦瑠麗さんにとって、軽井沢はそんな場所なんですね。(筆者)

週末は軽井沢へ

三浦さん、

「娘が3歳なる直前ぐらいにここに家を、子供がちっちゃいときにおもいっきり駆け回れる所が欲しいなっておもって」

仕事がなければ土日は必ず軽井沢へ。

運命のめぐり合わせで土地をみつけ、ログハウスを建てた。

庭の木を夫と二人で切り倒したりして、何年もかけて開墾したとのこと。

「川は下のほうずっと流れていて、人家が見えないので、人が目に入らない、人工物とか」

「相当人嫌いな感じですね」

三浦瑠麗さんは日頃、テレビや講演なので、人前に出ているから人嫌いという印象を与えないのに、実際は人嫌いな面もあるようです。だからこそ、軽井沢で静かにできる環境が必要なのでしょう。(筆者)

料理も

東京では自分で作ることはない三浦さんが、軽井沢では手料理をする。

清志君

旦那さんを清志君と呼ぶ三浦さん。

ご主人は投資家。

三浦さん、

「私は広い(範囲の)人を大切にするタイプなんですけど」

「夫は家族と自分が面倒をみると決めた人以外は、完全に外なんですよ、その中ではすごい優しいから、マフィアなのか?みたいな」

「ファミリー至上主義」

家族を大事する思いが強いというのを、三浦瑠麗さん風に言うとそうなるのでしょう。(筆者)

夫から見た三浦さん

軽井沢での妻は?

「リラックスしていると思いますよ、モードが変わるっていうかね」

「僕は方々で同情買ってるんですよ、『家帰っても朝生みたいなんでしょ?』って」

でも実際はそうではなくて、全然違うというのが今回のアナザースカイを見れば分かりますね。(筆者)

プライベートと仕事

二人とも会社のオーナーということもあり、夫の清志さん曰く、
「プライベートと仕事を切り分けにくいというがありますよね」

「東京と軽井沢は若干切り分けはあって」

「始終戦闘モードで働いていると、人間バテちゃうじゃないですか」

「ここ(軽井沢)来たら、基本何もやらない」

三浦さん家族にとって、軽井沢は自分らしさを取り戻せる場所でもあるのでしょう。東京の自分とは違うアナザースカイがそこにあるわけです。(筆者)

軽井沢を選んだ理由

MCの広瀬さん、

「そもそも何で軽井沢に別荘を買おうと思ったんですか」

「夫が山好きだったから、私はもともと湘南育ちなんで、海派だったんですけど」

「山がいいってことで」

今田さん、

「そこ旦那さんに合わせるんですね?」

「そのイメージしません、申し訳ないです」

確かにテレビからの印象では想像できないです。こういうギャップを知ることができるのもアナザースカイという番組の魅力ですね。(筆者)

ハルニレテラス

三浦瑠麗さんが軽井沢にいるとき、買い物をしたり食事をしたりするお気に入りの場所。

ハルニレテラス

我蘭憧(ガランドウ)

木製品専門店 我蘭憧

NATUR(ナチュール)

北欧インテリア・手工芸 NATUR

三浦さんが欲しい家具を見つけたのに、夫の許可が必要とのこと。

夫にプレゼンしてどうしても手に入れようとすると、

夫の清志さん、

「会話深まらないよ」

とあっさりと拒否。

以外にも三浦瑠麗さんは夫に対しては、なかなか積極的に討論できないのが、ある意味新鮮です。(筆者)

今田さん、

「あんな返し聞いたことはないわ」

「物を買うときに、『会話深まらないよ』、なんじゃそれ!?」

「でもなんか分かるかも、『物欲埋めるためのことでいいの?』っていう」

「裏メッセージが・・・」

広瀬さん、

「見えてるんですね」

確かにそういう言い方もできるでしょう。旦那さんは妻三浦瑠麗さんの事を本当に理解されているのが、伝わってきそうです。(筆者)

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セルクル軽井沢

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三浦さん、

「帰る晩とかは片付けが大変なので、外で食べることが多いんですけど」

東京へ帰る日曜の夕方は外食することで、月曜からの仕事に力が入るのでしょう。(筆者)

軽井沢書店

https://store.tsite.jp/karuizawabooks/

三浦さん、

自分の著書が初めて書店に並んだときの三浦さんは、

「うれしいですね、丸善、八重洲ブックセンター、新宿紀伊国屋は行きました」

三浦瑠璃さんにとっても自分の本が出版されたのは、最高の喜びだったのでしょう。(筆者)

本を書きたかった

三浦さん、

「私はずっと自分で本を書きたくて生きてきたので」

「今まで人生の中で一番好きだったものは小説なんですけど」

「当時、書きたいと思ってたモノと違うモノを書くようになりましたけど」

「でもやっぱり私の人生の中心を占めてますよ」

「小中高時代に読んだ本の量っていうのは、凄まじいものですよね」

小説を書きたかった夢を持ちながら、違うジャンルの本を書いているというのは、きっと自分では気が付かない何かがそうさせているのかもしれません。(筆者)

作家を目指したけど

三浦さん、

「(子供のころ)小説家になりますとか、文集に書いたんですけど」

「なりたいものは、作家以外に何にもなかったので」

「自分で書いたりして、全然書けないことが分かり、『無理だな』と」

「(当時は)何をすればいいのか?わからない」

5人兄弟

三浦瑠麗さんの父親は研究者で、母親は専業主婦。
二人とも東大卒。
5人兄弟の真ん中で育った。

三浦さん、

「私が迷える子羊を大学5年間やってたときに、丁度結婚した」

当時は家庭に入る気満々だった。

でも、働からるもの食うべからずというお達しが。

夫は外交官だったこともあり、

「彼の蔵書の中には社会科学系の歴史とか、国際関係とかがあって」

「私は一切読んだことがなかったので、影響も受けたし」

学び直す

当時夫が外交官だったことで、結婚後は引っ越しが多かった。

夫からの勧めで、外国でもできるように学び直そうと、理系から文系に変えた。

東大大学院へ進み博士号を取得。

夫の支えがあったからこそ、今の三浦瑠麗さんがいるのがよくわかります。夫婦の支え合いが新しい人生を生むという典型的な例なのではないでしょうか?(筆者)

テレビは古市さんから

今田さん、

「テレビに出るきっかけみたいのは何だったんですか?」

三浦さん、

「古市(憲寿)君のNHKのEテレで、若者討論みたいな感じだったんで」

今田さん、

「それがきっかけで(テレビに)出て、古市さんに『ちょっとやってみませんか』と言われて!?」

三浦さん、

「古市君が私の連絡先を知ってるだろうってことで、テレビ朝日朝まで生テレビのプロヂューサーさんがつないでくれた」

ちょっとしたきっかけが、その後の人生を大きく変えることがあります。そこには必ずといって人と人とのつながりがありますね。人と人のつながりもまたある意味でアナザースカイなのかもしれません。(筆者)

言うべきことを言う存在

夫の清志さん曰く、

「社会の中で色んな方面に忖度せずにっていうのって、社会的にも意味あると思うし、それは期待してますけどね」

「迷ったら本音を言えって」

人は迷った時ほど、自分と向き合えるチャンスなのではないでしょうか?迷いがあることで、自分を見つけることができると言っても過言ではないはずです。(筆者)

軽井沢はぬか床

三浦さん、

「(軽井沢は)糠床みたいなところですよね、熟成用のね」

「入って2日して出てくると、なんかいい感じになってるっていう」

「東京と軽井沢の往復、人間らしくなってまた戻って来てっていうのが良いんでしょうね」

「こっち(軽井沢)には闘いはないですからね」

「ここは魂のレベルで必要な所なので」

政党からは

今田さん、

「政党から誘われるんですか?」

三浦さん、

「そんな無いですよ」

「意外と無いもんです。(誘いに)来て欲しくもないし」

来てほしいと思っている政党もあるのかもしれませんし、あるいはそうでないのかもしれません。(筆者)