マゲ生活から離れて
断髪してまだ1週間ほどしか経っていない。
23年間マゲのある生活。
身長も測る時に、マゲも一緒に測るほど、マゲは体の一部。
生まれて始めて海を見たのは、
15歳でモンゴルから関空にやってきた時。
あれから相撲人生は20年。
最初の頃は毎日3回泣いていた。
当時は小さくて、細かった。
プロフィール
白鵬 翔
はくほう しょう
1985年3月11日生まれ
モンゴル国ウランバートル市出身
第69代横綱
三月の大阪は縁起場所
焼きふぐの店
夢鉄砲
上本町本店
現役は食べるの稽古のうちだった。
引退して、初めて食べる楽しみができた。
大鳥神社
勝負の神様を祀る、ヤマトタケルに祈った。
父はモンゴルの英雄
父はモンゴル相撲の大横綱。英雄だった。
ここまでの道のりはエリートとは程遠かった
摂津倉庫株式会社
アマチュア力士が働いている。
当時の6人の相撲留学生と一緒に、この会社で2ヶ月間相撲を学んだ。
当時は観光という気分だった。
体格がなかったことがその気持ちにさせた。
当時は62キロだった。
他界した社長に可愛がられた。
モンゴルから一緒にきた仲間は、皆相撲部屋からスカウトされた。
自分一人が残って、モンゴルへ帰る支度をしていた時に、入門が決まった。
小柄だった
初土俵の時は体重80Kgの小柄で、負け越した。
体重が軽かったため、稽古もさせてくれない日々が続いた。
でも、このままモンゴルに帰ったら、父の顔に泥を塗ることに。
21歳で大関になる異例のスピード出世を果たした。
そして、勝つことが当たり前の自分から「楽しい」という言葉を無くした。
横綱在位14年間、土俵に上がるとやるしかない。
鬼になって、勝ことが横綱の責任。
負けるとことは「死」と考えた。
そうなると、土俵に上がるとスローモーションが起きる。
横綱になった者しかわからない。
大鵬の32回の優勝が目標だった。
29歳で33回の優勝を果たした。
更に、戦い続けた。
2021年7月、名古屋場所を最後に引退。
そこでも優勝し、勝つことにこだわった。
親方として
これからは、一線から身を引く。
テレビに出るのもこれが最後かもしれない。
今後は、親方として横綱になること。