アナザースカイⅡ MIYAVI、スラップ奏法を磨く、米・ロサンゼルス、2020.04.10放送

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世界のギタリスト

今回のアナザースカイⅡは、世界を震撼させたギタリストのMIYAVIさんです。

世界で初めて編み出したスラップ奏法で、ワールドツアーを8回、約350公演以上、30か国と地域を巡った。

ハリウッドスターも絶賛

アンジェリーナ・ジョリーやトム・クルーズらがその演奏を絶賛し、メジャーリーグの試合ではアメリカ国歌を演奏するサムライギタリスト。

世界中の人たちが、MIYAVIさんのスラップ奏法に魅了されるというのは、音楽は正に世界共通というのがわかりますね。(筆者)

ロサンゼルス

今回のアナザースカイでは、MIYAVIさんがロスでの体験を振り返ります。

撮影スタッフとの合流は、 急遽ブッキングしたライブイベントに出演するため ライブハウスから始まる。

MCの今田耕司さん、

「思ってる以上の国の数と」

MIYAVIさん、

「結構もう(ワールドツアー)8度目ですか」

今田さん、

「日本はどれぐらいいるんですか?」

MIYAVIさん、

「(1年の)3分の1から半分くらいは(日本に)いますね」

今田さん、

「みえてけえへんは、(MIYAVIさんの)普段の生活」

MCの広瀬アリスさん、

「無いですね、生活感が」

MIYAVIさん、

「全然普通っすよ」

MIYAVIさん本人はそう思っても、一般の我々からすると、生活感を全く感じさせない雰囲気のは確かですね。そこがMIYAVIさんの魅力の一つでもありますけど・・・。(筆者)

プロフィール

出典: Instagram

MIYAVI
ミヤビ
1981年9月14日生まれ
大阪府出身。
ロックミュージシャン、俳優。
妻は日系アメリカ人の元歌Melody.。

https://www.instagram.com/p/B-rKxbUpJhb/?utm_source=ig_web_copy_link

ロスでの生活

宿泊中のコンドミニアムを見せてもらう。

MIYAVIさん、

「本邦初じゃないですか」

「と言っても何もないんですけど、基本は本当にシンプルなんですよね」

「ツアー中とか本当に15分で荷造りできるように」

今田さん、

「ここ拠点にいろんなとこ行かなあかんもんね」

MIYAVIさん

「そうですね、いろんなところに行くので」

宿では?

MIYAVIさん、

「大体、僕、ストレッチしてるか、メールしてるかみたいな」

超過密スケジュール

MIYAVIさん、

「(ロスに来る前)どこにいたっけな、たぶん日本ですね」

「(1か月前は)コロンビアに行って、そこからブラジルに行って、ハワイに行って、東京へ戻って、その足で北海道入ってライブやって、ちょっと東京戻ってミーティングとかして、そこからロスに来ましたね」

今田さん、

「大変や、無理や」

MIYAVIさん

「そうすね、旅してますね、僕ね」

広瀬さん、

「ずっと旅してますね」

MIYAVIさん、

「時差はいつもあるから」

「本当にいろんな所、世界中行くので、そこでベストなパフォーマンスするためには、どこでも同じ状況を作ってあげること」

MIYAVIさんにとって、どこにいてもストレッチは大切なルーティンとなっている。

しっかりとストレッチをする姿はとてもカッコいいですね。(筆者)

MIYAVIさん、

「アナザースカイ視聴者は、これで喜ぶんですか?MIYAVIさんのルーティン見て喜ぶんですか?」

広瀬さん、

「こういうのが見たいですよね」

そうなんです。アナザースカイはゲストのプライベートな部分も含めて、お洒落でカッコいいからついつい観てしまうわけですからね。(筆者)

https://www.instagram.com/p/B-opa4zJ_ml/?utm_source=ig_web_copy_link

時差との闘い

MIYAVIさん、

「時差との闘いなんで、結構(午前)2時とか3時とか早い時間に起きるのが好きなんです」

広瀬さん、

「それ夜中っていう・・・」

MIYAVIさん、

「夜中ですけど、朝のはじまり」

今田さん、

「おじいちゃん、おばあちゃん的な発想の、朝のはじまり」

MIYAVIさん、

「アメリカのスタッフは動いているので、ヨーロッパとか」

「自分も向こうにもスタッフ抱えているので、彼らとやり取りするのはその時間帯なんですね」

時差があるから、日本の時間帯でコミュニケーションすることはできない訳ですね。日本の深夜2時ごろだと、アメリカ西海岸は午前中で、ヨーロッパは夕方の時間帯になります。(筆者)

子供と暮らす

2014年から2019年までは、家族とロスに暮らしていた。

MIYAVIさん、

「こっちに越して来た時も、何も決めずに来たので」

「住むとこ決まってなかったので、最初ホテルにいて探しながら来て」

「melody.は、僕の妻とかは、逆にハワイで生まれ育ってるので、こちらの方が育児がしやすい、英語の方が」

「学校の隣のアパートメントなので、(学校まで)歩いて30秒」

「学校で(住居を)決めましたね」

「ガチパパっすよ」

https://www.instagram.com/p/B9hHWPWhYqJ/?utm_source=ig_web_copy_link

今田さん、

「いくつといくつなの?」

MIYAVIさん、

「10歳と9歳です」

今田さん、

「かわいいでしょ、10歳、9歳」

MIYAVIさん、

「結構厳しいですよ、僕」

今田さん、

「怒れる?」

MIYAVIさん、

「怒りますね、バチバチっすよ」

「あれ、(今田さんの)お子さんは?」

今田さん、

「姪っ子の子供がいるんです」

今田さんは54歳でまだ独身です。いつ結婚するのでしょうか?(筆者)

https://www.instagram.com/p/B141fG-F7xx/?utm_source=ig_web_copy_link

仕事仲間

音楽プロデューサーのレニー・スコルニックさん(31歳)とは、約5年間制作を共にしている。

MIYAVIさん、

「日本人以上に働くアメリカ人を僕は見たことないです」

レニーさん、

「インスパイアされてるから」

MIYAVIさん、

「もう(仕事が)止まんないですよ」

トライ&エラー

MIYAVIさんが楽曲制作について語る、

「やっぱこういうのって、トライ&エラー、失敗して当たり前というか」

「失敗する前提でどんどんどんどん新しいことをやっていく」

レニーさん、

「僕が一番感謝しているのは、一緒にやっていく中で信頼してくれたこと、失敗も含めた全てのプロセスでね」

MIYAVIさん、

「たくさんあるよね、その方が成功よりもずっと多いね」

「本当にアグレッシブに関わってくれるので、エンジンの一部というかエンジンですね」

お互いが本当に信頼しきっているからこそ、失敗もそれが成功に繋がる確信をもてるのでしょう。(筆者)

https://www.instagram.com/p/B8eCwWGlkz4/?utm_source=ig_web_copy_link

英語を学ぶ

MIYAVIさん、

「本当に最初、英語を学びにロサンゼルスに来たとき、(英語は)ゼロ」

「僕は元々ちょっと喋れるとかそういうの無いんで、もうゼロですね」

「最初に僕が覚えたフレーズは」

「I can not speak English, Please speak slowly(英語が話せないので、ゆっくり喋ってください)」

「この2つをまず最初に覚えて来ましたね」

2006年(25歳)、日本での活動を突然休止して、3か月間ロスへ留学した。

今田さん、

「25(歳)のときに日本で知名度上がってきて、いい感じやったんでしょ、そのまま」

MIYAVIさん、

「そうですね、ちょっといい気になりかけてましたね」

「日本でこのまま成功していいのかなっていう」

「もっともっと高みを目指して、もっともっと自分が挑戦できる場所を自分に与えてあげる」

「それをすごく感じたんですよね、挑戦したっていう気持ちが一番デカかったので」

MIYAVIさんが25歳の時、ある程度の自分のやりたいことをやり遂げた時だったのではないでしょうか?そこで次の目標をどうするか?考えたら海外という答えが出てきたのでしょう。その時がMIYAVIさんにとって、アナザースカイの始まりとなったのです。(筆者)

https://www.instagram.com/p/B-twt0Ap_ps/?utm_source=ig_web_copy_link

ストリートパフォーマンス

ベニスビーチ(Venice Beach)

出典:https://www.venicebeach.com/

ロスで始めたことがストリートパフォーマンスだった。

MIYAVIさん、

「ストリートで演奏してましたね、変なハット(帽子)被ってやってましたね、そうですね発電機買って」

「大体自分のショーに来てくれるお客さんたちって、大体見て来てくれるから、ある種甘えがきくというか」

「ここにいる人達っていうのは、違う目的で来てる人達で、その人たちの足を止める、その人達の興味を引くっていうのって凄く大変で」

「そこでスラップ(奏法)っていうのは凄く磨いた部分ですね」

ストリートだと全く興味ない人達がいるわけですから、そこで関心を引き付けるには、並大抵の技量じゃ通用しないことは確かです。MIYAVIさんはベニスビーチで自分を磨くことができたので、ロスに行ったことが大きな転機になったのは間違いありません。やはり、勇気を出して飛び出してみることは、とても大切なのが分かりますね。(筆者)

https://www.instagram.com/p/B9XRxB0lLnm/?utm_source=ig_web_copy_link

三味線のニュアンスから

MIYAVIさんが世界で初めて編み出したスラップ奏法は、三味線のバチを叩く仕草がヒントになったとのこと。

今田さん、

「オリジナルの演奏の仕方?」

MIYAVIさん、

「自分は元々ピックで普通に弾いてましたし、自分にしかない表現方法ないかなと思って」

「三味線、日本のギターの、バチでこう叩くじゃないすか、あのニュアンスを僕はギターでやりたいなと思って、スラップし始めたんですね」

実際に演奏してもらうと、最初はピックで普通に弾いて、そしてスラップで弾くと、

今田さん、

「キャー」

広瀬さん、

「すごーい、ずっと見てられる」

MIYAVIさん、

「いや、多分、5分で絶対飽きると思う」

さすがカッコいいですね。ついつい聴き込んでしまいます。(筆者)

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フェンダーとの出逢い

Fender Hollywood Office

出典:https://officesnapshots.com/

ロスでストリートを始めてたことがきっかけで、フェンダー社の目に留まった。

今田さん、

「俺でも知ってるわ、フェンダー社」

MIYAVIさん、

「正に王道ですし」

<フェンダー(Fender)社>
エリック・クラプトン
カート・コバーン
ジェフ・ベック
ジミ・ヘンドリクス
ブライアン・ジョーンズ(ザ・ローリングストーン)
たちが愛用。

出典:https://officesnapshots.com/

MIYAVIさんは自分のモデルを作ったり、新製品をチェックしに度々訪れる場所。

フェンダーとの出逢いは、一冊の音楽誌(ローリングストーンズ)だった。

出典:ローリングストーンズ

MIYAVIさん、

「元々はフェンダーじゃないギターを使ってたんですけど」

「(雑誌)ローリングストーンズとかをフェンダーじゃないギターでカバーを飾ってて」

「したらフェンダージャパンのCEOのエドワードから電話がきて」

出典:https://www.pinterest.se/

エドワード・コール(Edward Cole)
フェンダーミュージック株式会社
代表取締役 APAC統括

「『うちのギターを弾いてみないか』と、『本物は本物を弾かなきゃダメなんだ』と言われて」

「言われたこと自体光栄ですし、彼(エドワード)の熱意とか、ギターを作ってるだけじゃない、ギターという楽器を通じて、まずはミュージシャンをサポートする」

「そしてそのミュージシャンが出したい音を具現化する、そして共に夢を売る」

「そこに僕も共鳴したし、なので是非ということで(始まった)」

夢を売るということはもちろんのこと、ミュージシャンが出したい音を具現化させることへの熱意があるからこそ、MIYAVIさんがそれに惹かれたのでしょう。モノを売る前に、「そのモノを通じて何を実現するのか?」を考えることの重要性を再認識させてもらいました。(筆者)

再会

エドワードさんと再会するMIYAVIさん。

MIYAVIさん、

「本当に彼が最初にドアを開けてくれて」

エドワードさん、

「アメリカであなた(MIYAVIさん)のライブを観た人で、パリ、ロンドン、モスクワで観た人からメールが来る」

「あなたの言った通りだ、あの人は凄い」

「あんな演奏はかつて見たことがない!」

MIYAVIさん、

「道を一緒に歩んでいけるというのは光栄なことです」

エドワードさんが観たMIYAVIさんの演奏は、世界への道を作ってくれた訳です。やはり、人が成功するときは必ずといって、その人を応援してくれる協力者がいるのを再認識させてくれました。アナザースカイの番組には、ゲストにとってのキーパーソンが登場します。人はキーパーソンに出会えることがまず最初のステップなのではないか?をアナザースカイを観ていつも思いますね。(筆者)

邪道だった

MIYAVIさん、

「ぶっちぎり、ギターリストの人からしたら邪道なんですよね」

「もう不法なんですよね僕の使ってるギターって」

愛用モデルは1940年代に創業者のレオ・フェンダーが開発した「テレキャスター」。

今あるエレクトリックギターの元祖にあたる。

出典:https://www.famousbirthdays.com/

レオ・フェンダー(Leo Fender)
1909年8月10日 – 1991年3月21日

https://www.instagram.com/p/B8D7drfFBFM/?utm_source=ig_web_copy_link

MIYAVIさんはそのテレキャスターに改造を施した。

「歴史あるテレキャスターにアーム付けて、ちょっと太めの音が出るピックアップを付けたりとか」

広瀬さん、

「普通のギターと何が違うんですか?」

MIYAVIさんが実際にギターを鳴らして、

「テレキャスターってもっと細い音が売りのギターなんで」

「だけど、僕はこの一台でどこにいっても勝負できるようにしたかったら、全部付けたんだです」

限界から脱出するために

「スラップギターやりながら、アメリカで自分の表現方法のある種限界と言いますか、も感じていて」

今田さん、

「今までの従来のギターでは?」

MIYAVIさん、

「そうです」

今田さん、

「そういうことをする人いなかったわけだ」

MIYAVIさん、

「まあいないですね」

「普通はこういう歴史のあるギター会社ってやりたくないんですよ」

「歴史を壊す、台無しにするかもしれない」

「でも、彼(エドワード・コール)は、『一緒にその歴史を壊そう』と言ってくれた、『記録を破ろう、何か新しいものを作ろう、歴史に基づきながら』」

エドワードさん、

「我が社のギターを使い、かつ改良しようとしてくれる」

「これがクリエイティビティの醍醐味」

「私たちは君のようなアーティストが好きだ」

「君が思うように創作できれば、世界はもっと良い場所になると、僕は信じている」

新しいことへのチャレンジを忘れない気持ちを持ち続けることができる、というのは創業者レオ・フェンダーの精神でもあるのでしょう。それをしっかりとMIYAVIさんに伝えたエドワードさんは素晴らしい方です。(筆者)

海外活動の壁

2014年ロスへの移住を決めて、海外活動を本格的に始めた。

しかし、壁にぶつかった。

MIYAVIさん、

「言葉の違い、文化の違い」

「そういったものに対する自分のストレスもあったし、できない自分に対してのフラストレーションもあったんで」

偉大な二人

音楽プロデューサーのジャム&ルイス(Jam & Lewis)

左:ジミー・ジャム(60歳)
右:テリー・ルイス(63歳)
出典:facebook

<手掛けたアーティスト>
ジャネット・ジャクソン、
マライア・キャリー
プリンス
ビヨンセ
TLC
Bouz Ⅱ Men
メアリー・J.ブライジ
宇多田ヒカル
他。

60歳を過ぎた二人は今でも現役で活動。

MIYAVIさんがジャム&ルイスさんらに質問、

「どのくらいグラミー賞の会長をやってる?」

ジミー・ジャムさん、

「会長になったのは13年前かな?」

「でも20年ぐらいは関わっているよ」

グラミー賞の重要人物と一緒に出会えたことは、MIYAVIさんにとって奇跡ではなかったでしょうか?その奇跡もロスに移住することを決めた瞬間から始まった訳です。やはり、ここでも決断することの大切さを教えてくれています。(筆者)

https://www.instagram.com/p/B-wNYAnJtUq/?utm_source=ig_web_copy_link

共同で制作

2014年、シングル曲「Real?」を共同で制作した。

MIYAVIさん、

「その当時は、自分のスタイル、どうやって確立するか?とか」

「もっと表面的な部分の方が強かったですね」

「彼ら(ジャム&ルイス)と音楽制作をして、『なぜ音楽を作るのか?』、『なぜ音楽が存在してるのか?』」

「そこをすごく強く意識するようになりましたね」

テリー・ルイスさん、

「何が曲を重要なものにするかと聞かれたら」

「それはもちろんアーティストだ」

「2番目にはフィーリング、メロディー、グルーヴ、それから言葉、メッセージは何か?」

MIYAVIさん、

「僕その時本当分かってなかったんで、あ、そう、と言ってずっとスラップしてたんですけど」

「今ならわかる、あなたたちが言ってくれたことを」

テリー・ルイスさん、

「今の世の中、メッセージが失われているというのは、いろいろある中でも多分大きなこと」

「例えていえば、鳥やハチやストリートはそれ自体がミュージック」

「ただメッセージがない」

ジミー・ジャムさん、

「音楽はコミュニケーション」

「そして、あなた(MIYAVIさん)は他の人にはできないやり方で、コミュニケーションをしている」

「音楽があるからこそ、あなた(MIYAVIさん)はギターを持っている」

「それはどんな言語にも翻訳できる、どんな人種にも宗教にも、環境にも、音楽は(人々に)伝わる」

音楽界のレジェンドから直接教わることができるなんて、MIYAVIさんはとてもラッキーです。もちろん、そうなるまでには人一倍の努力と決断があったことは確かです。(筆者)

https://www.instagram.com/p/B-5w1EdlFJf/?utm_source=ig_web_copy_link

難民親善大使

MIYAVIさん、

「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)という、国連の一機関で、ユニセフとかユネスコのような、その中の一機関で、難民支援する一機関の親善大使をさせてもらっています。

MIYAVIさんは、UNHCRの親善大使として活動し、レバノン、コロンビア、タイ、バングラディッシュなどの難民キャンプを訪れている。

MIYAVIさん、

「難民問題の歴史、全く知らない自分がギター担いで行って大丈夫なのか?」

「子供たちの前で何ができる?ギターしかないし」

「英語喋っても、彼ら彼女たちが英語喋れないから、行ったところで何ができるんだろうか?」

「足手まといになるんじゃないか?正直すごく怖かったですね」

ある意味度胸のあるMIYAVIさんでさえ、怖さを感じたということで、難民になっている世界の子供や若者に対して真剣に考えている姿が伝わってきます。(筆者)

認められること

MIYAVIさん、

「人から認められないってすごく怖いですよ」

「今でも怖いですよ」

今田さん、

「ええーっ!」

MIYAVIさん、

「ギターをぱっと弾いたときの彼らの、子供たちの目の輝き」

「『ウワオ、このアジア人は、このよくわからん髪の色をした異国のお兄さんは、何をしているんだろうか?、ウワオ、何だこれは?』」

「そのウワオに僕は未来を感じるんです」

「人って、ウワオって驚いた時に僕は希望、未来を感じると思っていて、それがその未来へのまた新たな原動力になる」

「その驚き、ワクワク、興奮を伝えるのが僕たちの使命だと思うし、僕が語っているのを聞いてくれない人も、音楽がかっこよければ聴いてくれる」

「僕は本当に、例えば人と人が争っていても、その人達同士がMIYAVIさんのファンだったら、ちょっと争い止めてくれるかもしれない」

今田さん、

「MIYAVIさんが言ってるし、(争いを)やめとこう、みたいな」

MIYAVIさん、

「やっぱり、平和だからこそ(音楽が)できるし」

今田さん、

「本当に、我々の仕事、そうですよね」

MIYAVIさん、

「(平和でいること)そこにちょっとでも貢献してたいし、そこは忘れずに(音楽を)作り続けてたいな、と思いますね」

音楽はどんな言葉よりも強いメッセージを持っていることは確かです。音楽を通じで平和に貢献しようとするMIYAVIさんにとって、難民キャンプもまたアナザースカイであることは間違いありませんね。(筆者)

ハートから出る音楽

テリー・ルイスさん、

「彼は(MIYAVIさん)は、ラジオで一番人気になるようなポップソングを作ろうとしているビッグアーティストではない」

「心から出る音楽を作っている」

ロスはどんな場所

今田さん、

「MIYAVIさんにとってロサンゼルスはどんな場所でしょうか?」

MIYAVIさん、

「夢を・・・、追いかける場所ですね」

「夢を追いかけていいんだって、思わせてくれる街」

「可能か、不可能かを先に考えないというか、まずやろうぜっていう」

今田さん、

「そういう空気になってますよね、ロスってね」

MIYAVIさん、

「あっ、夢を追っかけていいんだ、挑戦していいんだ、ていうのを感じさせてくれる街ですね」

広瀬さん、

「学ぶことが多すぎて、モチベーションがとても上がりました」

番組で流れた曲(BGM)

MIYAVIさんにとって夢を追い続けられる街ロサンゼルス。
挑戦する気分になれる曲をご紹介します。

Bang!

Jimi Hendrix – Freedom

見逃したときについて

こちらで、見逃したときにどうすればよいか?を説明しています。

→ アナザースカイの再放送はあるのか?動画で視聴可能!