M1の時
MCの今田耕司さんが、いきなり
「芸歴2年目のスペースシャトルです」
と紹介。
すかさず、
中川家の二人が息を合わせて、
「どうも~、スペースシャトルです!!」
MCの広瀬アリスさんは中川家の印象としては、初代M1チャンピオン。
初代M1チャンピオンの出演時に、
剛さんが緊張して家に帰って、本番の30分前に戻ってきたエピソードを語る。
プロフィール
中川家(なかがわけ)
兄の剛(1970年12月4日生まれ)
弟の礼二(1972年1月19日生まれ)
兄弟漫才コンビ
大阪府出身
初代「M-1グランプリ」チャンピオン(2001年)
大阪府守口市
母校の梶小学校を訪れる。
礼二さん、
「ますだおかだの増田さんもここやし、桂三度さんも、世界のナベアツさんもここやし」
同じ梶小学校出身とのこと。
マンモス学校で1学年10クラスあった。
小学校へ足を踏み入れた瞬間に、当時の思い出が蘇り、思い出のアナザースカイ状態になる中川家の二人を見ていると、まるで小学生に戻ったようです。(筆者)
笑いが文化
剛さん曰く、
「新喜劇とかテレビやってた」
生活の中に笑いが当たり前に入ってきた。
礼二さん、
「ナイツの塙がよお言うもんね、『ブラジルや』って大阪はサッカーでいう」
ちょっとした会話の中にも自然とお笑いが出てくる環境というのは、それだけで幸せな日々を送れそうですね。(筆者)
父親の行動
剛さんが授業参観日の父親の行動を語る。
「親父だけ、(廊下と教室の間の窓を)ガガガって開けて」
「裸足やし」
「授業が退屈やから、(廊下と外の間の窓を)開けてタバコ」
中川家の父親の行動自体にも、それだけで十分に笑いの要素が盛り込まれていたわけです。(筆者)
実家の跡地
裕福でなかった家の跡が老人ホームになっていた。
4畳半と6畳のアパート。
風呂は玄関で洗車みたいに順番に洗った。
そんな生活でもいつも笑いが絶えない家庭で暮らしたというのが、今の中川家の原点であることは間違いありません。(筆者)
駄菓子屋
今田さん、
「隣コンビニやで、めちゃくちゃたくましくないすか?」
20円、30円のお小遣いを持って通った。
礼二さんのモノマネは、剛さんが見出したようで、面白いを人を見つけると、礼二さんを連れて行ってやらせたとのこと。
小学生の頃から漫才コンビが出来上がっていたいたようですね。(筆者)
長堀駅の思い出
1992年、中川家の二人は会社に就職していた。
礼二さんはOA機器の営業。
「約30年前かな、芸人の世界は趣味として、お笑いを見に行こうと決心したのと同時に就職」
「場所も花月(なんばグランド花月)に近いほうがええな、と思って」
NSCに入る
ところが、NSC(吉本総合芸能学院)に通うことになった。
剛さん、
「1年だけ行って、何もなかったら会社に戻ろうと僕は思ってた」
「(NSCに)願書出して、勝手に礼二の名前も書いて」
800人が面接をを受けた中で、二人は残った。
剛さん、
「誘ったんが僕やったんで、僕の方が熱量高かったんじゃないですかね、芸人さんになりたいという」
礼二さん、
「(会社)辞めてまで!?というのもあったんで、さっきの会社行きながらNSCに通ってました」
「まさかほんまに兄弟でやるとは思ってませんでしたね」
剛さん、
「僕はもう、中学高校の時代から、礼二はまともな仕事は無理やろなって、見ててわかってたし」
「やれることはやっときたい」
礼二さん、
「NGK(なんばグランド花月)とそういう場所に行くと、『やっていかなあかんねんな』と思って、会社辞めた」
NSC11期生500人の仲間入りをした。
兄の剛さんが弟の礼二さんのことをよく理解していたからこそ、お笑いの世界に行く気持ちを強く持てたのでしょう。まさに兄弟愛ですね。お笑いの世界に一歩踏み込んだ頃は、当時の中川家の二人にとって、アナザースカイへの第一歩だったのかもしれません。(筆者)
居酒屋たこしげ
剛さん、
「同級生が(周辺で)仕事をしてて、『売れるか売れへんか分からんのにやってんの?』みたいな感じでしたからね」
「ちょっと下に見てたみたい、お笑いの方を、そこは辛かった」
「ただまあ、ここに来て、へべれけになったら(そのことを)忘れる」
今田耕司さん、
「この世代(中川家の)やつ、ほとんど酒癖悪いよ」
そこは熱い男たちの集まりだった。
NSC11期生
陣内智則
ケンドーコバヤシ
たむらけんじ
ハリウッドザコシショウ
etc.
たこしげのご主人が言うように、NSC11期生は異質だった。
レベルの高い仲間がいたからこそ、ライバル心が燃やされて、もっと上に行こうという気持ちが生まれたのではないでしょうか?やはり、良きライバルは絶対に必要です。(筆者)
野々村友紀子
NSC同期の野々村友紀子さんが登場。
礼二さん、
「元々ね、『高僧・野々村』っていう女漫才師」
「すごい将来有望されながら、むっちゃ面白かった」
野々村さん、
「NSCの時から、私は中川家が一番衝撃を受けて」
「(中川家の)漫才初めて見たときに、『こんな人おんねや!!』
「(当時は)間の面白さで笑い取れる人たちじゃなかたのね」
「ちょっとした間のため方とか、(中川家は)ダントツちゃいますかね」
当時から、中川家は身内から見てもレベルの高いお笑いをしていたことが、よくわかります。(筆者)
トリを務める
今田耕司さん、
「(トリには)すごい俺も憧れる、我々なんか、若い時に挫折してるから」
「そのトリになってるわけやんか」
台本がない!?
中川家の漫才には台本がない。
剛さん、
「最初は、A、Bってちゃんと台本書いてたんですけど」
「自分の気持ちで喋った方が、やっとそうやってできるようになった」
礼二さん、
「スベッたり、ウケたり、経験したからできた」
剛さん、
「ただやるしかない、さぼらずに、やっていくしかないですよね」
芸の道にゴールは無いと良く言われますが、お笑いも同じようにゴールのない厳しい世界なのが伝わってきます。(筆者)
子供の頃の楽しみ
中川家の父親が会社から貰ったきた株主優待券で、タダでなんばグランド花月へ見に行った。
そこで、やすきよ、阪神巨人、さんまの芸に感動した。
今回のアナザースカイでは、ビデオで明石家さんまが特別出演。
損得抜きで出演を快諾してくれた。
剛さん、
「(さんまさんが)かっこいいですよね」
「かっこいいと思うのが、おかしいかもしれないですけどね、お笑い芸人を見て」
礼二さん、
「これ終わるでしょ(さんまさんに)『VTR出てくれたんですね』て言ったら」
「多分言う答えは『俺ウケてたか?』で」で終わる」
今田耕司さん、
「(さんまさんに)漫才師の中川家じゃない礼二と剛が何かしゃべってきたら、絶対距離を置きはるやろな」
「漫才師のの礼二と剛としゃべってんのよ!」
「どういうイメージ、二人から見た明石家さんまさんは?」
剛さん、
「(本名の)杉本高文を見せない人ですね」
礼二さん、
「やっぱり怪獣ですね」
そこに、剛さんがスタジオにある花に目をやると、
今田さんが、
「何見てんねん、花」
「うちのさんま兄やんの話している時に」
「集中せいへんは」
最後に自然なオチで今回のアナザースカイⅡは終了しました。
中川家のお二人にはありがとうございました。
番組で流れた曲(BGM)
兄弟漫才の中川家の二人が幼少期のころを振り返る姿にマッチした曲です。
Melvv – Goodbye
MOVITS! – Fel Del Av Gården
Radiohead – Creep
Ennio Morricone – Cinema Paradiso
見逃したときについて
こちらで、見逃したときにどうすればよいか?を説明しています。
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