3つの才能
MCの今田耕司さん、
「僕はバラエティでご一緒させてもらったことがあったんですけど」
斎藤さん、
「本当にお世話になりました」
「僕が最後に今田さんにお会いしたのが、中目黒のバー」
「ドラマの打ち上げみたいのしてたら、今田さんいらっしゃって、ご挨拶してたら、今田さんたち先に帰られて」
「僕が会計しようとしたら『今田さんに貰ってます』(と言われた)」
MCの広瀬アリスさん、
「かっこいい!」
斎藤さん、
「目茶苦茶カッコいいな、と思って」
今田さん、
「(広瀬アリスと)共演したことは?」
斎藤さん、
「すばらしかったです」
「目茶苦茶キュートで」
今田さん、
「2つの目を持っている、3つかな!?」
「演者の目を持っている、監督もやるし、制作もするから」
「いろんな目で見ちゃう?」
斎藤さん、
「キャスティングをさせて頂く時に、自分の頭の中に勝手にストックとして」
今田さん、
「めっちゃこの人作品に向けての姿勢が素晴らしいな、とか」
斎藤さん、
「控え室で性格悪かったなあの人、いやだなとか」
斎藤工さんの作品に出演させてもらう役者は、普段から油断できないので、出演するときはかなり緊張するかもしれませんね。(筆者)
プロフィール

出典:https://www.saitoh-takumi.jp/
斎藤 工
さいとう たくみ
1981年8月22日生まれ
俳優、映画評論家、YouTuber
東京都出身
20年前のパリ
22年前、16歳の頃、パリの安宿街でモデルを目指していた。
当時暮らしていた安宿は今、生活困窮者用施設になっていた。

斎藤さん、
「バックパッカーをしながら、パリコレの時期とかに来てた」
「エージェンシーが決まってただけで、オーディションを受けに行くんですよ」

当時の宿と同地区の宿へ。
斎藤さん、
「トイレがたぶん無かったんですよね」
「この環境の中で、お鍋使ってお米炊いたり、おにぎり作ったり」
「先輩たちも、前川泰之さん、平山祐介さんとか」
「今の僕(斎藤工)より、全然年下だったと思うんですけど、もの凄いタフな人たちに見えましたね」
若くても目標に向かっている人というのは、エネルギーに満ちているのではないでしょうか?それが周囲に広がって、自分の夢を掴むチャンスに繋がっていくのでしょう。(筆者)
スタート地点
斎藤さん、
「泊ってた宿が、そうやって今低所得者の方の寮みたいになってるっていうのは、すごい納得だし」
「自分の始まりとしては、本当にふさわしい場所だったと思いましたね」
いきなり高いレベルからスタートするのではなくて、本当に低いレベルからスタートすることで、一歩一歩を登り詰めていく課程が重要なことはよくわかります。斎藤工さんにとって、パリでの第一歩は挑戦というアナザースカイだったのでしょう。(筆者)

華の都じゃないパリ
斎藤工さんにとってパリは戦地だった。
斎藤さん、
「最初のオーディションで、歩いてみてと言われて歩いたら、『足ケガしてるの?』って言われたんですよ」
「あとは、オーディションを受けに来ている人と思われなかった」
「(オーディションで)ウォーキングができたら良い方で、ブックをみて終わりってパターンが結構多くて」
「1つのショーに1人アジア人が出れれば良い方な時代でした」
今田さん、
「厳しい!」
「15、16(歳)でバックパッカーで、怖くなかった?」
斎藤さん、
「怖かったんですけど、でもこれしとかないと、というか焦らすというか」
「未来から逆算して焦らす、みたいな」
今田さん、
「こういう考え方、あんま聞いたことないなー」
広瀬さん、
「わたしも」
斎藤さん、
「全然、僕、世界で通用するタイプじゃないっていうのも分かってたんですけど」
今田さん、
「行くだけ行ったれ、みたいな」
将来の自分を予想しながら、今自分がやるべきことを理解しているというのを、わずか16歳でやっていたというのは、信じられないことです。普通16歳だと、今の自分のことで精一杯なはずなのに、斎藤工さんはそうではなかったのが驚きです。(筆者)
パリコレデビューでコケる
斎藤さん、
「オーディションを受けまくって、落ち待ちくり」
それでも諦めずに受けまくり、パリコレデビュー。
斎藤さん、
「フランチェスコ・スマルトというブランドで、初舞台がサーカス小屋だったんですよ」
「肝心なパリコレ第一歩目で、僕コケまして」
「その後の僕の人生いつもそうで、よしこれは行けるぞみたいな一歩目って、大体コケるんですよ」
「パリコレの一歩目でコケたことは、今の僕にいろんな教えを与え続けてくれていますね」
勢い勇んで挑んだのに、そこで失敗すると落ち込んでしまいます。「なんでこうなるんだ!」と嫌な気分になるでしょう。でも、そこには自分を見つめ直すきっかけが隠れているかもしれません。これもある意味アナザースカイなのではないでしょうか?(筆者)

モデルから俳優へ
今田さん、
「モデルから俳優というのは、誰かの影響あるんですか?」
斎藤さん、
「僕は元々映画が作りたかった」
「父親がそういう仕事をしていた、東北新社で映像のプロデューサーをしてた」
「ちっちゃい頃から緑山スタジオとかに覗いていて」
「父親に机の上で勉強するより、現場で学んだほうがいいからということで」
父の影響を受けて育ったことが、斎藤工さんの人生にとって非常にプラスになった訳ですね。(筆者)
今田さん、
「いずれ制作っていうか、ずっと?」
斎藤さん、
「ずっとありました」
広瀬さん、
「当時、パリで学んだことが、今本当に活動に」
斎藤さん、
「そうですね、ベースに、ルールブックみたいになってるかもしれないですね」
16歳でパリで経験したこと、まだ少年の心を持っている時に感じたことがずっと残っているのでしょう。それが土台になっているから、ブレないのではないでしょうか?(筆者)
パリ5区
16歳でパリコレデビューした後、2週間パリに滞在した。
大小37軒の映画館が密集するパリ5区。
斎藤さん、
「映画の日っていう日が月に1回、100円位で見れるんですよ、(当時は)梯子してましたね映画館を」
「フランス映画とかもあえて観に行ってたんですよ」
「言葉分かんないんですけど、表情とかその雰囲気をよりよく捉えようとして観るから」
「意外とね、言語超えるんだな、っていうのが20年前、このエリア(パリ5区)で映画観まくって学びましたね」
パリでモデルデビューするために安宿に泊りながら、やっとデビューできたからと言って、それで満足しない。もっと何かを求めようとする気持ちを16歳で持っていたのには、ただ感心するだけです。(筆者)
LE CHAMPO

出典:https://www.cinema-lechampo.com/
斎藤さん、
「『Z』やってますよ、超レアですよ」
(コスタ・ガブラス、1969年)

「フランス史に欠かせない一作で、色々調べていくと、コスタ・ガブラスの『Z』ってたどり着くんですよ」
「黒沢明の七人の侍じゃないですけど」
「それ(Z)を今やって、(観客が)入るんですよねちゃんと」
「リアルタイムの映画と変わらない熱で、愛を注いでいる感じがしますね」
パリ人の映画への考え方というのは奥深いものがあるんですね。(筆者)
映画館の人曰く、
「小津安二郎も溝口健二も回顧上映したよ」
小津 安二郎
おづ やすじろう
1903年12月12日-1963年12月12日
映画監督・脚本家
溝口 健二
みぞぐち けんじ
1898年5月16日-1956年8月24日)
映画監督
斎藤さん、
「パリなんかは、チケット代の半分が、フランス映画の未来に対する投資っていうこと分かって、お客さんチケット買うんですよ」
芸術の街というだけあって、パリの人にとって映画はだた鑑賞するだけではないのですね。(筆者)
ストライキで交通が麻痺でも、
『馬と呼ばれた男』
(エリオット・シルバースタイン、1970年)
観るために映画館の前には、多くのファンが列をなす。

映画を撮りたい
映画を愛してやまない、フランスでたどり着いた結論。
斎藤さん、
「西洋かぶれしたカルチャーみたいなものに、近づこうとしてた自分もいたんですけど」
「むしろ逆だなってことに、パリで活躍する日本人の人たちの作品を観て感じましたね、小津と、溝口、黒沢明とか、宮崎駿」
「なんか根っこにある部分というのは、本当に自分の考え、アイデンティティを持っていないと通用しないんだな」
「日常会話でもそうだったんで、体感として」
自分というモノがどこからやってきているのか?をしっかり捉えていないと、目に入るものをついつい追いかけてしまうものです。他方で、アイデンティティをちゃんと理解できていると、余計なものが目に入らなくなるのではないでしょうか?(筆者)
「じゃ何が海を渡ってここに届くのか?その後20年間ずっと意識しましたね」
「武器を自国で見つけるというか、足元にちゃんと落ちているものを、遠く(海外)ばかり見るんじゃなくて」
「ちゃんと(武器を)拾って、その武器を持って、帰ってくるべき場所(がパリ)だなってのは、痛感してました」
日本人であることが大前提で、それにプラスアルファーされることで、海外で勝負できるという訳ですね。(筆者)
サロン・デ・ボザール(Salon des Beaux Arts)
ルーブル美術館で開催されている展示会。
※150年の歴史を持つフランスの美術団体が催す次世代アーティストのための展示会。
斎藤工さんは写真家としても活躍。
自分の作品がルーブルにに展示されている、2度目の出展。
主張すること
斎藤さん、
「フランスで学んだことが、20年前から、主張しないと埋もれていく」
「創り出すもの、生み出すものと世の中を繋げるっていうことを自らしないと、残れないというのは感じました」
「ここは私には無理だと思ったんですよ、20年前」
自分から積極的に発信していくことができなければ、パリではやっていけない。パリだけではなくて、世界でやっていけないことを痛感した訳です。これこそ自分の中のアナザースカイ(別の世界)なのかもしれません。(筆者)
よき友
芸人 永野(一樹)さんが登場。
プロフィール

永野
ながの
本名:永野一樹
1974年9月2日生まれ
宮崎県出身
芸人
斎藤さんと永野さんが3年かけて作った映画「MANRIKI」、海外では「Vice」。
※ MANRIKI(2019年~)
監督:清水康彦
パリ国際ファンタスティック映画祭のコンペティション部門で入選。
斎藤さん、
「原作者、原案者、出演者でもあります永野さんと、プロデューサーでもあります私(斎藤工)が映画祭に来ました」
Bande-Annonce de Vise (VOSTF)
2人の出会い
2人の出会いは7年前、今田耕司さんの番組だった。
斎藤さん、
「この闘いを(今田さんにも)見てほしい」
「そういう意味でも、アナザースカイっていう意味深い場所だなと思いましたね」
※永野一樹さんは芸人の間ではカリスマ。
斎藤さん、
「パリにこれで勝負するってものは、僕は永野一樹さんだった」
「万力で物理的に小顔にするっていう、永野さんと雑談から生まれた、小顔矯正スプラッター映画なんです」
※スプラッター(splatter)とは、液体が飛び散る様子。映画では猟奇的なシーンのある作品に使われる語。
今田さん、
「スポンサー探しとか、大変じゃなかった?」
斎藤さん、
「主要映画会社、全部断れましたね」
「海外に意識のある企業に、大風呂敷を拡げながら、3年かかりましたけど、作り上げました」
「永野さんとの出会いも含めて、今田さんがいざなってくれたと思ってたので、ご報告に今回これたことがとっても嬉しい」
今田さん、
「永野君というのは、なんでもない芸人さんですからね、人気俳優の斎藤工君にとっては」
斎藤さんと永野さんの知り合ったきっかけが今田耕司さんの番組だったこと、それをずっと大切に想っている斎藤さんは、とても律儀な人なんですね。(筆者)
パリ国際ファンタスティック映画祭
画像(piff)

今年で9回目を迎える。ホラーやスプラッターなどのジャンル映画の祭典。
600作品の応募作品から最終10作品で競う。
当日、パリはストライキで地下鉄が動かなくて、根っからの映画ファンだけが集まった。
今田さん、
「これまさに闘いですよね」
上映終了後のスタンディングもなかった。
観客と作品を一緒に観た二人の感想は、
永野さん、
「50点かもしれない」
「過剰なほど(観客に)期待した」
斎藤さん、
「地下格闘技みたいな感じでしたね」
「ちゃんと殴ってくるっていうか」
永野さん、
「120%の気持ちで『MANRIKI』に臨んで」
「本気だった分、いろんなことに気付かされちゃったというか」
斎藤さん、
「いざ客席から作品を観ているというよりも、客席の反応、皮膚感覚で」
今田さん、
「ここでこの反応がくるはずやっていうのは、ちょっとずれたりとか」
斎藤さん、
「悔しさしかなくて」
「もっとやっていいんじゃんっていうことを、フランスのお客さんに教えてもらいました」
海外で勝負するというのは、人間としての根源的な部分をしっかりと捉えていないと、勝てないことを、実感したのではないでしょうか?これもある意味でのアナザースカイですね。(筆者)
再挑戦
永野さん、
「なんか狼煙をあげたって感じがするんです」
「そういうつもりはなかったんです。本当のこと言うと」
「全てだったんですけど、何年もかけて」
「ただの始まりだった」
斎藤さん、
「テクニカルっていう意味じゃなくて、思いとしてフルスイングを当てていきたいなっていう気持ちは増しましたね」
上映終了後すぐに「MANRIKI」の再編成に挑戦。
スペシャル・メンション賞受賞
「MANRIKI」は特別賞を受賞した。
斎藤さん、
「文字面としては、そうかもしれないですけど」
「自分が見ている景色っていうのは、カッコ付けでも何でもなく遥か先が霧のように見えないというか」
「次どうやってリベンジしようっていう」
今回はの映画祭は、ゴールではなくて、スタートとなったわけですが、その先がまだ見えないという不安を抱えての再出発になったのです。(筆者)
ストライキ
Workers strike in Paris over changes to France’s retirement plan l ABC News
斎藤さん、
「たまたまストライキが起きていて、熱量みたいなものがちょっと通常と違う」
「冒険心という言葉なのか分かんないですけど」
「こいつがこれをやったら面白いんじゃないかっていうことを、自分をコントロールしている自分がいます」
「作品至上主義なんですよね、仕上がり至上主義というか」
「理屈じゃない何かがないと、ここでは到底通用しない、華の都パリじゃないです」
最初はコケる
今田さん、
「最初のステージはコケる?」
斎藤さん、
「そうですね、そこではずかしくて引っ込むというよりは」
「もう1回立ち上がって、歩き直したっていうのは、結構自分には大事」
「擦りむいた状態で行こうっていうのは、サーカス小屋(パリコレデビューでコケた)を思い出しました」
斎藤さんはいつも何かに挑戦するときはコケるのが、自分らしいということを、今回のアナザースカイでも再確認できたようです。(筆者)

パリとは?
斎藤工さんにとってパリとは?
「心の戦地」
「そこで勝利を勝ち得る日が来なくても、そこに照準を置いているっていうことが、自分の日々を作っているとうことで」
「大事な場所ですね」
番組で流れた曲(BGM)
斎藤工さんが若干16歳でパリコレに挑戦、自分の将来を逆算した当時を思い起こさせてくれそうな曲をご紹介します。
beabadoobee – She Plays Bass
Rex Orange County – 10/10
見逃したときについて
こちらで、見逃したときにどうすればよいか?を説明しています。
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