アナザースカイⅡ SHELLY、母として、米・イリノイ 、2019.11.15放送

2児の母

今回のゲストはSHELLYさんです。

MCの今田耕司さん、

「SHELLYさんもママ、お子さん2人、今」

「順調ですか子育ては?」

SHELLYさん、

「今のところ順調です」

今田さん、

「姪っ子の子供をみたり、姪っ子には子供は二人いますで」

「チームラボ(ボーダレス)大変やった」

「完全に俺の隠し子だと想われてる」

今田さんの姪っ子のお子さんとなると、孫のような存在ですね。(筆者)

プロフィール

出典:SANSPO

SHELLY
シェリー
1984年5月11日生まれ
横浜市出身
国籍:アメリカ
イタリア系アメリカ人の父と日本人の母の間で生まれる。
モデル、タレント。

イリノイ州グレンカーボン(Glen Carbon)

イリノイ州マディソン郡

出典:illinoisroute66.org

今回のアナザースカイは、SHELLYさんが子供の頃に暮らしていた場所です。

SHELLYさんが、二女を抱きながら歩く。

そこにあったのが父の実家。

SHELLYさんが2歳から6歳まで住んでいた場所がそこにある。

https://www.instagram.com/p/B4t_aCKpmJt/?utm_source=ig_web_copy_link

子供と一緒の理由

SHELLYさんは、グランマ(祖母)に娘たちを会わせてないとのこと。

SHELLYさん、

「結婚式のとき、5年前に会ったのが最後で」

SHELLYさんがこの場所を訪れたのは15年ぶり。

幼少期を過ごした街を子供たちに見せたかったので、子供と一緒に訪れることに。

SHELLYさんの父

「父親が日本に住んで40年以上」

「日本語話せなくて、父親とは英語で話さないといけない」

40年暮らしていても日本語を話せない父親がいることで、英語が上達したわけです。ある意味、父に感謝しないといけませんね。(筆者)

https://www.instagram.com/p/B4w0g1vpQW3/?utm_source=ig_web_copy_link

祖母の家

SHELLYさんの祖母の家を見た瞬間、

今田さんが、

「クリントイーストウッドが出てくるところみたい」

典型的なアメリカの家という感じですね。(筆者)

孫がひいおばあちゃんに会う。

元気なおばあちゃんが家の中から出てきて、

とても喜ぶSHELLYさん。

おばあちゃんよりも、SHELLYさんの方がかなり興奮している様子ですね。(筆者)

SHELLYさんが子供の頃の写真をみながら、昔を懐かしむ。

9年前に他界した祖父のことを思い出して、とても懐かしむSHELLYさん。

今田さん、

「15年前に行ったときは、おじいちゃんは元気?」

SHELLYさん、

「元気でした」

「おじいちゃんから、ちゃんとおばあちゃんに手紙書くように言われた」

おじいちゃんは、SHELLYさんのことが、可愛くてたまらなかったのでしょう。
それに、妻(おばあちゃん)のことを思いやる優しさは素敵ですね。(筆者)

親戚たちと

近くに住む親戚が集まり、みんなと久しぶりに再会するSHELLYさん。

みんなで食事をしている時に、

SHELLYさんがみんなにダルマをプレゼントする。

ダルマに願いを込めて目を書くことを説明するSHELLYさん。

親戚が集まって食事を楽しくしている雰囲気はいいですね。
みんなで昔の話をしているのがとても穏やかなので、アメリカ的な感じです。(筆者)

今田さん、

「何の映画やねん」

「飛び交ってたな当たり前やけど、英語が・・・」

親戚たちが集まって食事をしながら、喋っているのが映画のワンシーンのようです。
今田さんは、英語がしゃべられるのが、かなり羨ましいみたいですね。(筆者)

「アリスちゃんはしゃべられへんやね、日本人やもんね」

MCの広瀬アリスさん、

「バリバリ日本人です」

「アリスで、この顔のくせに一切しゃべれないんで」

広瀬アリスさんなら、英語をペラペラ話せそうな雰囲気なのに、意外ですね。(筆者)

今田さん、

「(英語を)しゃべれるようになりたいなー」

SHELLYさん、

「ずっと(英語の)勉強をされてますよね?」

今田さん、

「ずっとしゃべられへんねんで、俺」

今田さんはずっと昔から、家庭教師みたいなのを付けたりして、英会話を勉強してきたそうです。
そして、今はECCに通っているとのこと。
それだけ勉強すれば、英語を話せるはずなのに、どうして話せないのでしょうか?
一番いい方法は、英語の国でしばらく暮らしてみればいいでしょう。
でも、多忙な今田耕司さんには、その時間がないのかもしれませんね。(筆者)

遊びを体験

SHELLYさんが、夢中になった遊びを子供たちに体験させようと頑張ります。

トウモロコシ狩り

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永遠に続くコーン畑を観て、今田さん、

「アメリカやなー」

畑の中で、トウモロコシをパキンと折ってとる長女を見て喜ぶSHELLYさん。

SHELLYさん、

「絶賛シティガールとして育てたいので、こういう経験をさせたいですよ」

都会で絶対に経験できない体験を、小さい頃にできるのはとても貴重です。
それがずっと大人になっても、記憶のどこかに残り続けるでしょう。
筆者も子供の頃に、母と一緒にトマト畑で、採ったばかりのトマトをかじった時の味を今でも思い出します。
それ以来トマトが大好きになりました!(筆者)

トウモロコシを生で食べる長女。

「美味しい」と言ってSHELLYさんに渡す様子は、とても可愛らしいです。

それを一緒に食べるSHELLYさん。

「甘ーい、美味しい」

スタッフが

「茹でる必要ないですか?」

と質問すると、

SHELLYさん、

「全然生でいい」

生でも美味しいトウモロコシだと、料理すると更に美味しくなるでしょう。(筆者)

もちろん、2女にも食べさせるSHELLYさん。

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SHELLYの子育て論

SHELLYさんの子育ての基本は、邪魔をしないことだそうです。

「らしさをみつけてそこを伸ばしたい」

「こういう人になってほしいとか、こういう仕事についてほしいとか、本当になくて、2人とも」

「生まれたときから、この子はこの子の人生、それを預けられている」

「あぶないからダメとか、こんなところでそんなことしたら行儀悪いからダメ、とかというのは、なるべくあまり怒らないようにしている」

「ケガしたら覚えるしみたいな、こっちが邪魔しないようにするのが大事」

自由奔放に育てるのがSHELLYさんの基本になっているようです。
そのためには、自然の中での体験は必須と言えるでしょう。
今回子供たちをアメリカに連れていった理由には、それがあるわけですね。(筆者)

ザリガニ釣り

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ザリガニの餌が牛の生レバー。

生レバーを餌にするなんて、ちょっと驚きです。
ザリガニは美味しいものを食べるわけですね。(筆者)

制限時間が1時間内ということで、必死に釣りをするSHELLYさん親子。

そこはザリガニ釣りができるように、自然の中で工夫された釣り堀のようです。(筆者)

ザリガニを見つけて、

長女が

「いた、いた、いた、いた」

ところが、レバーだけ取られて逃げられてしまった。

なんとか釣らせたいSHELLYさん、

そこで、SHELLYさん自らが真剣になってザリガニを探す。

やっとザリガニを見つけて生レバーを落とす。

広瀬アリスさん

「糸を持って、超本気です」

子供のことを忘れて、自分が子供になったようですね。(筆者)

やっと釣り上げたSHELLYさんは大喜び。

娘たちに、

「母の雄姿を見なさい」

自慢げにしている姿はもう母親というよりは、子供の頃の戻ったSHELLYさんのようです。(筆者)

子供たちに

「どうたったザリガニ?」

と聞くと、

長女が

「楽しくなかった」

ショックを受けるSHELLYさん、

長女が

「捕れなかったから」

母親があまりにも真剣になりすぎて、子供たちが遊ぶ余裕がなかったからでしょう。(筆者)

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子供たちへの質問

SHELLYさん、

「いつも寝るときに、今日は一番何が楽しかった?と聞くんですよ」

「そしたら、今日はグランマに逢えたこと、あと、ザリガニが一匹釣れたのが楽しかった」

それを聞いて、

「すごい良かったと想って、私が想っている以上に、チャンと刻まれているなと想って」

広瀬アリスさん、

「お母さんが子供っぽくなるのって素敵だなーと想って」

「私の母親が結構ああいうことしなかった、ちっちゃい頃」

「昔に見たかったな、と想います」

今田さん、

「子供って想っている以上に気使えるからね」

「ザリガニことを言うてほしんかな?的な・・・」

確かに、子供からすると、母親があんなに楽しんでいたわけですから、母親を喜ばせたい気持ちがあるでしょう。(筆者)

今田さん、

「自分が子供のころの時を想ってもわかるやん」

「だいぶ忖度してたやん親に」

SHELLYさんもそれには納得の様子です。

ナマズ料理

出典:glencarbonveterans.org/legion/

AMERICAN LEGION POST 435

SHELLYさん、

「フィッシュフライって、金曜日だけやっている特別なメニューがあって」

「そこに街の人たちが集まって、昔、一大イベントだったんですよね」

今でもやっているのに感動するSHELLYさん。

街の人たちが食事をするために集まる場所。

幼い頃の大好物だった『CATFISH FILET』を食べることに。

SHELLYさん、

「フィッシュフライの定番のキャットフィッシュ、ナマズ」

「こっちは海がないので、川で捕れたナマズを食べるでんすけど、美味しいですよ結構」

SHELLYさんが久しぶりに食べるので、食べ方を尋ねる。

「ソースをかけるんですか?」

ディップ(浸して)食べればいいとのこと。

SHELLYさん、

「めちゃくちゃ久しぶりですね」

「東京だと全然ナマズないですから」

今田さん、

「ナマズ、言われた時点で、食べへんわ」

今田さんは意外にも、変わった料理には抵抗があるようです。(筆者)

キャットフィッシュを食べるSHELLYさん、

「美味しい」

「白身魚なんですけど、意外と脂が乗ってて」

「身自体はフワフワしてて柔らかいんですよ」

「外側がカリッとしてて、食感の違いがまた美味しい」

子供たちに食べさせる。

長女が食べると

「美味しくない」

かなり残念そうなSHELLYさん。

子供の味覚には合わなかったようですね。(筆者)

https://www.instagram.com/p/B44aD_CJeT_/?utm_source=ig_web_copy_link

SHELLYさん、

「自分が味わった空気とか雰囲気とか、フィッシュフライで」

「みんながなんかこう、あーどうもみたいな、おーどうしたみたいな」

「みんながみんなことを知っているという」

「小さい街ならではの、あの空気を久しぶりに感じた私も嬉しかったし」

「初日緊張してた、上の子が寂しいそうにしてて」

「いつグランマの家に行くのって、楽しみにしてたその思い出って」

「この旅で絶対に残ったと想うので、それは本当に変えられない想い出を頂きましたね」

ごく普通のアメリカの日常が、子供にとっては印象的に残ることでしょう。
日本に帰ってきて、アメリカでの思い出が、大切なものとなるに違いありません。(筆者)

昔の家

SHELLYさんが2歳から6歳まで住んでいた家が残っていた。

祖母の家の裏にある今は使っていない家。

その家に入るSHELLYさん。

中は使っていないからボロボロな感じ、

台所にとっくりがあって、SHELLYさん家族が住んでた形跡を見つけて喜ぶSHELLYさん。

※ちなみに、SHELLYさんは日本酒の『利き酒師『の資格を持っています。

そして、写真を見つけた

それは子供の頃のSHELLYさん。

「ダサ、わたしです」

今田さん、

「男の子みたい」

確かに写真を見る限りでは、男の子だといっても通じそうです。(筆者)

しかも、SHELLYさんの姉たち(長女と二女)の写真を見つけて、

「この写真出したら、ティナ(長女)とデニース(二女)にぶっ飛ばされる」

それほど、昔の写真はダサく見えるようです。
ただ、アメリカ的な子供たちが、その写真の中にいる感じは確かにしますが・・・。(筆者)

タレントを目指した理由

アメリカに住んでいたあの頃、SHELLYさんの夢とは?

「6歳くらいになるまでは、真剣にマイケルジャクソンと結婚したいと想ってたみたい」

「(本人も)なんとなく記憶にあります、マイケルが大好きで」

「なんとなく、歌手とかダンサーとか、エンターテイナーは憧れがあったんですけど」

「まさか、タレントになるとは、想ってなかったですね」

来日してからタレントに

SHELLYさんは、7歳で日本に来てから、芸能界に興味を抱くようになった。

「最初は、(米軍の横須賀)基地に住んでたときに、結構みんなモデルの仕事ってやってるんですよ」

米軍基地に住んでいるアメリカ人で、SHELLYさんのような可愛いい女の子たちが周囲にいたことがきっかけとなり、運を掴むことになったわけですね。(筆者)

「14歳くらいのときに、たまたま声をかけていただいて」

「あっ、モデル!やりたかったやつって想って」

「学校の休みの日に、東京に行って、撮影してお金頂いて」

「楽しくて、お金もらえて、最高みたいな感じだったんですけど」

楽しいことがきっかけになり、それがSHELLYさんにとってタレントへの道につながったわけです。(筆者)

モデルからタレントへ

「20歳のときに全然モデルの仕事が来なくなってしまって」

事務所から、音楽番組のオーディションをすすめられて受けてみた。

「カメラに向かって、原稿を読むってものだったんですけど、ダントツ、SHELLYが一番へたくそだった」

「だけど、『音楽に対する想いが一番強かったんだよねっ』て言われて」

「しゃべりの仕事は注意されて怒られて、頑張って直して、次に逢って、『できるようになったじゃん』って言われると」

「すごいやりがいを感じた」

「20歳のときの音楽番組で、私これ仕事にしたいって想って」

「これで食べていけるように頑張りたいと想った」

SHELLYさんにとって、インスピレーションのような感覚を覚えたのかもしれません。
心のどこかに眠っていた感覚を呼び起こした瞬間なのでしょう。
それもある意味では、アナザースカイのようなものだったのではないでしょうか?(筆者)

母となった今考える『性教育』

あれから15年、母となったSHELLYさんが語る。

「昔から自分より若い女の子たちに、
何かしらポジティブな影響を与える人に、
なれたらいいなっていうのがあって、
その中で一つ自分がずっと大事にしてきたのが、性教育」


「なんかこう日本は特に、学校教育でもやらないとこが多くて、
家庭でもタブー視されてたりして、
結局どこに相談したらいいのか分からなくて、
産む羽目になっちゃいました」


「誰にも相談できないから、どうしようどうしようといって、
産んで捨ててっちゃう人がいるみたいな、
じゃあ全部防げるのって、 性教育なんだと想うんです」


「今の私たちが当たり前に生きている世界を、
(将来)娘たちが「なにそれ?」って引いてほしいんですよ」


「でも引くようになるには変わらなきゃいけないから、
その変わる協力をしてたっていう、
変わるための努力すごくがんばってたんだよお母さんはって、
言えるようにがんばってる感じですかね」


「だからタレントとして、
伝えられる場所を持ちたいっていうのは、
すごく夢でありますね」

タレントとして発言力を発揮することが、SHELLYさんにとってアナザースカイなのでしょうね。(筆者)

自分の語っている放送を想像したSHELLYさん、

「これ、すっごい恥ずかしいだろうな、見るの?」

「めっちゃ語ってるじゃん、みたいな」

今田さん、

「何がはずかしいの?」

全然恥ずかしくないです。
なかなか言えない大切なことを、しっかりと語ってくれました。(筆者)

祖父の元へ

祖父のお墓へ向かうSHELLYさん、

「おばあちゃんがクールな人」

「グランパは、喜んでくれる、うわーって喜んでくれるウェットな人」

祖父は2010年に他界。

「他界したときは、結構ショックだったんです」

「日本で(他界のことを)聞いて、その時もこっちに帰ってきたかったんですけど」

「こっちの人がみんないい人ばかりで、無理して行くって言いづらくて」

「全然(祖父に)近況報告もしてなかったし」

知らせがないのが元気な証拠みたいに、祖父にとって、SHELLYさんからの知らせがなかったことで、逆に安心していたのかもしもしれません。(筆者)

SHELLYさん、

「おじいちゃんが、みんなを見守ってくれる気持ちを大切していく」

SHELLYさんにとって祖父は、心のアンカーなのかもしれませんね。(筆者)

SHELLYさんが離婚

番組では触れられなかったSHELLYさんとその夫との離婚が、各種メディアで公開されました。

二人が結婚して6年、徐々にすれ違いが多くなって、離婚に至ったとのこと。
そういう意味では、今回のアナザースカイは、 SHELLYさんと二人の娘たちにとって、一生に残る貴重な体験になったに違いありません。(筆者)

見逃したときについて

こちらで、見逃したときにどうすればよいか?を説明しています。
→ アナザースカイの再放送はあるのか?