ラグビーワールドカップ(W杯)を振り返る
今回のゲストは、ラグビーW杯でスタンドオフ(司令塔)として活躍した田村優さんです。
田村さんは、中学まではサッカーで夢中になり、高校に入ってからラグビーを始めたとのこと。
攻撃を組み立てる武器は、あの正確なキック。
51得点をマークし、W杯では得点ランキング4位に。
MCの今田耕司さん、
「たらればになりますけど、(準々決勝で)南アフリカじゃなかったら?」
田村優さん、
「余裕で勝ってました」
自信満々で語っている田村さんを見ると、決勝まで行けた感じがひしひしと伝わってきます。(筆者)
今田さん、
「南アフリカえげつなかったですね、決勝でも」
田村さん、
「意味わかんない位(南アの選手が)デカいんすよ」
MCの広瀬アリスさん、
「ちょっとね、ホッとしますね、選手の方のを聞くと」
いくらラグビー選手だからといっても、あの巨体とぶつかるのは怖いでしょう。(筆者)
田村さん、
「めっちゃ怖いすよ、本当に」
広瀬さん、
「ずっとやってても、怖いってことあるんですか?」
田村さん、
「怖いです、僕狙われるんで、南アフリカのときはまんまとやられて、途中30分位でダメでしたね」
今田さん、
「わー、それも作戦ですもんね」
「ほんでノーサイドって、やかましいわ、言いたなる」
日本の司令塔として歴戦をこなしてきた田村さんでさえ、怖くてやられたほどの南アフリカは、想像以上に強かったことを再認識させてもらいました。(筆者)
プロフィール

出典:https://www.rugby-japan.jp/
田村 優
たむら ゆう
1989年1月9日生まれ
愛知県岡崎市出身
ラグビー選手
身長181cm 体重91kg
國學院栃木高校、明治大学
キヤノンイーグルスに所属
今回のアナザースカイは、海外ではなくて国内ロケです。
2019年4月にアナザースカイⅡにリニューアルしてから、国内よく登場するようになりました。(筆者)
沖縄
沖縄を訪れた田村優さん、
「懐かしい」
スタッフが、
「ロケは試合より緊張しますか?」
田村さん、
「全然緊張しますよ」
「試合はそんなに緊張ね、また別ですね」
なぜ沖縄?
「お母さんの実家もありますし、おじいちゃん、おばあちゃんにしかり顔見せないと
なかなか(祖父母)が元気でないと想う」
幼いころから沖縄を訪れたいた田村さん、
「(子供の頃は)多分1か月、2ヶ月(滞在)してたと想うんです」
「帰るのが嫌だったですね」
「(実家のある)愛知のほうに戻るのが嫌でした」
「ちっちゃい頃からこっちの生活の方が合ってましたね」
今田さん、
「子供とき、沖縄が田舎やったら最高ですね」
子供の頃に沖縄で遊んだことが、ラグビーを楽しむことへ繋がっているのかもしれませんね。
ちょっと強引な結論ですが・・・。(筆者)
田村さんは、今でもシーズンオフになると必ず(沖縄を)訪れるそうです。
沖縄料理
田村さん、
「ソバ行って、タコス」
めんそーれ浜屋

出典:https://hamayasoba.gorp.jp/
田村さん、
「(このお店は)なんか人気みたいですね、僕は昔から好きです、こってりで」
出てきたのが、浜屋ソバの大。
おもいっきり食べだすと、思わずニコニコになる田村さん。
東京で麺とか売っていて、田村さんは家で作るそうです。
でも、沖縄ではひたすら食べる田村さん。
「おばあちゃん、朝ご飯作ってくれて、10時位になんか食べて」
「昼ごはん食べて、おやつにタコス食べたりして、晩御飯食べて」
「夜飲みながら、締めに最後ヤギとかた食べたり」
沖縄でオフを過ごすときは、ただひたすら食べているわけです。
広瀬さん、
「めっちゃ食べる」
今田さん、
「食べるなー」
さすがラガーマンですね。
力士よりも食べるのではないでしょうか???(筆者)
今田さん、
「おいしそうに食いますね」
ソバを最後の汁まで完食した田村さん。
それを見て、広瀬さん、
「CMみたい」
カップ麺のCMに出演しても、いいかもしれませんね。(筆者)
タコス専門店
Tacos-ya 北谷店

田村さん、
「結構いろんな所タコス出してますけど、僕はここが一番好きです」
出てきたタコスを目にして、微笑む田村さん。
冷めない内に一気に口に入れる。
田村さん、
「ちょっと待ってください」
と言いながら、ひたすら食べる。
「結構ボリュームありますよ、女性だったら3つ食べれば結構ね、うまっ」
「オフ中ぐらいしか、好きなものバーッと食べる時ないんで」
「逆に本当にオフ以外こっち来ないすもん、(食べられないのが)ガマンできないんで」
「(シーズン中)は食べすぎはできないですね、ちゃんと朝昼晩って食べるので、3時にタコスとかはなかなか(できない)ダメです」
あっという間に3つのタコスを完食。
今田さん、
「3分!」
もう一瞬にして食べたという感じです。
田村さんにとって沖縄料理は、リラックスできるアナザースカイのようですね。(筆者)
Bar・de・mer(バルドメール)
夜は、田村さんの幼馴染みのお父さんがやっているお店へ。

W杯の国旗に寄せ書きをしてくれた人たちが集まってくれた。
田村さんが集まってくれたファンに
「ありがとうございました。また頑張るんでよろしくお願いします!」
今田さん、
「出身地みたいや」
本当に地元という雰囲気です。
そこに沖縄出身のチームメイトも参加。
東恩納寛太選手

東恩納 寛太
ひがしおんな かんた
1992年11月26日生まれ
沖縄県出身
名護高校、帝京大学
キャノンイーグルス所属
そして、みんなでビールを乾杯。
田村さん、
「(東京では東恩納選手と)ビールと泡盛一緒に飲んでます」
「家近いんですよ、だから、だいたいパッと呼んで来てもらって」
東恩納選手が田村さんに質問
「優さんの故郷どこですか?」
田村さん、
「いろいろある、栃木(国学院栃木高校)も故郷と呼ばなきゃいけないし、名古屋も、愛知も」
「でも沖縄が多いすよ一番、家族に会うときこっちで会います」
「お父さん東京で、お母さん沖縄だから、帰るってなったらこっち帰ってきます」
田村さんにとって、沖縄は子供の頃に遊んだことで、故郷に感じているのでしょう。(筆者)
お店のオーナーが田村さんの小さい頃の写真を持ち出してきた。
小学生の頃の田村さんがタコを釣って喜んでいる写真。
とても幼い田村さん、それでも面影には今の田村さんがありますね。(筆者)
更に、中学生の頃の写真を見て、
東恩納選手が、
「ヤンキーみたいですね」
「いじめっこみたいな顔していますよ」
今田さんも中学生の頃の写真を見て、
「あら、悪そう」
田村さんの中学時代はサッカーに夢中になってた頃なので、きっと憧れのサッカー選手の顔をマネしていたのかもしれません。(筆者)
何故ラグビー?
田村さん、
「スポーツ選手になりたくて、なんかラグビーなら行ける感覚あって、ラグビーで最後まで行くって、高校生のときに決めてた」
「結局何するにしても、決めるのは自分なんで」
「わがままであっても、成功させれば、わがままじゃなくなるのかなと、思っていました」
「自分で納得できるように、失敗しようが、成功してもどっちでも、自分のしたいようにしたいんで」
一流の選手になると、ある程度のわがままがないと、成功できないこことを、田村さんは物語っています。(筆者)
今田さんが沖縄での田村さんを見て
「ほぼほぼ、地元の選手ですね、沖縄の何の違和感もない」
広瀬さん、
「すごい、いつも集まっているメンバーみたいな感じ、アットホームな」
「また、(田村さんの)お顔立ちが沖縄みたい」
今田さん、
「やっぱお母さんのね、(血)が入ってるから」
母親の血が田村さんを沖縄へ引き寄せていることは、間違いありませんね。
また、田村さん自身も本当に沖縄が好きな雰囲気が、今回のアナザースカイを通じて強く伝わってきます。(筆者)
沖縄の拠点
心と体も癒してくれる場所が浦添市にある。
「僕のおばあちゃん家に行きます」
「(沖縄に来ると)生活がここでして、家が2軒ある」
「僕のお父さん、お母さんの名前の言えと、おじいちゃんおばあちゃん家で、1軒ずつマンションがある」
おばあちゃんの家に帰ってきた田村さん、お互いに元気な顔を見るのがうれしそうです。
おばあちゃんが、
「忙しいっていうので、(田村さんが)お暇が頂けたら嬉しいです」
田村さん、
「だから帰ってくる時、ギリギリに言わないと」
「1週間前に言ったら、(おばあちゃんが)1週間電話してくるから」
それだけおばあちゃんは、田村さんの顔を見るのを楽しみにしてくれてるわけです。
そんな優しいおばあちゃんを持った田村さん自身が、おばあちゃんに会っていると、とても幸せそうです。(筆者)
田村さん、
「W杯招待するのが夢だったんで」
おばあちゃん、
「東京に行って、(スタジアムの)前から3番目の段に座ってしっかり見ました」
田村さん、
「長生きしてもらわないと、あと20年、30年は生きるね」
そこにおじいちゃんが一言。
「頑張るよ」
田村さんは祖父母をとても大事しているのが伝わってきました。
子供の頃から沖縄では、祖父母が世話をしてくれたから、余計に想い入れがあるのでしょう。(筆者)
広瀬さんが、おじいちゃん、おばあちゃんの部屋に貼ってある新聞に注目。
「2010年って書いてありましたよ」
今田さん、
「大学のときの(活躍とか)もうれしい」
「我々もそうですけど、最初ってちょっとでも(新聞に)載ったらうれしい」
確かに、新聞に自分の活躍が少しでも掲載されると、嬉しいのは本人だけでなく、家族にとっては、もっと嬉しいことですよね。(筆者)
特別なおばあちゃん
田村さんがおばあちゃんの特別なことに言及。
撮影ということで、日頃は耳が聞こえにくいそうなのに、撮影当日はしっかり聞こえてたとのこと。
そして、撮影当日の朝に、パーマ屋さんにいってきたそうです。
広瀬さん、
「かわいい~」
一方、おじいちゃんはというと、
「いつもお喋りなんですけど、おじいちゃん緊張して全くしゃべんなかった」
おじいちゃんも、おばあちゃんも、孫のお陰でとても貴重な体験をしたようです。
きっと大切な思い出として残るでしょう。(筆者)
名護21世紀の森公園ラグビー場
子供たちが練習している風景を見て、
田村さん、
「小さい子が多いですね、嬉しいですよ」
「ちょっとでも多くの子にラグビー始めて欲しいですし」
将来の日本ラグビーの発展のためには、小さい時からラグビーに親しむことが絶対不可欠です。
そのためにも、今日本のトップで活躍しているラガーマン達が、少しでも多くの子供たちに接してほしいですね。(筆者)
W杯に向けた練習を振り返る田村さん、
「今年の2月の、W杯の年の一番最初の合宿が沖縄ですし、長がかったですね、200何日」
「徐々にどんどん上げていった感じで、やっぱり結局日本が世界に勝てるところって」
「いっぱい走ることとか、相手よりもちょっとでもいっぱい動くこととかなんで、結局練習きつくなるんですよね、絶対」
日本が世界に勝つためには、何よりも練習しかありません。あのすばらしいパスワークとタフさを超越した運動量は、過酷な練習があったからです。結果、W杯での大活躍につながったわけです。(筆者)
司令塔としての苦悩
スクラムハーフとして、田村さんは苦しんだ。
「コーチが提示してくれたプランを信じ切るっていうのが」
「それを信じ込ませるっていうのも、やっとW杯の最後、4試合でできたかなと思ったので、やっぱ、そこは大変でしたね。
最後までチーム全体の意思を統一していくことの難しさを語ってくれています。
でも、ゴールのW杯では、本当にすばらしい統一がされていたと思います。(筆者)
W杯のアイルランド戦では、日本が勝つことを信じていた。
田村さん、
「やっぱり、大きな試合で勝たないと、自分たちのやってきた事とか、今やっている事とかが、100%信じきれないというか」
「まぐれとかで勝つよりも、本当にみんなで準備した事で勝ったんで、信じる力、倍増みたいな感じで」
『すごい!』の一言です。
過酷な練習が勝利に結びつくことへの強い信念を、チーム全体で持ち続けたことが、W杯での結果に繋がったわけです。(筆者)
今田さん、
「ラグビーってあれだけ長かったんですね。W杯の期間がね」
「その分、身体を休める日があったりしたんですか?」
田村さん、
「試合の次の日ですね」
「それからまた1週間かけて準備するんで」
「だから、僕は月曜日から木曜日が頭パンパンで、毎試合、変わって、相手の対策を立てますし」
「テストみたいな感じです、ずっと僕が覚えなきゃいけなくて」
今田さん、
「田村さんのポジション(スクラムハーフ)が、いろんなこと覚えとかなあかんねや」
田村さんのポジションは、試合を組み立てる役目をするわけですから、相手チームのことはもちろんのこと、自分たちのコンディションもしっかりと頭に植え付けておかなければなりません。
自分のプレーだけでなく、全体のプレーを俯瞰する高い能力が必要とされるポジションです。(筆者)
田村さん、
「基本的にパソコンの前にいる事の方が多かったですね」
広瀬さん、
「実践の練習のみか、と想ってたんです」
田村さん、
「いい練習するために、準備もしますし」
キックの練習方法とは?
田村さん、
「ゴールキック蹴るときに、横にジェイミー(ヘッドコーチ)にいてもらったりとかして」
「集中力、例えば、チームメイトが横でふざけてたりとか、自分のリズムを崩すような、やってました」
「無心でっていうのが、一番大事ですね」
練習の時から、いろんなシチュエーションを考えながら、どんな環境でも、いつも通りに蹴られるように工夫していたわけです。無心になれるには、よほどの鍛錬が必要ではないでしょうか?(筆者)
田村さんの性格とキックとの相性
田村さん、
「ゆっくりのんびり(な性格)ですかね、それは代表の監督にも言われました」
「それが強味だって、後は楽観的なんで、あんまりくよくよしない」
「まあ(キックを)外すこともあるんで、どんだけ楽観的に考えられるかですね」
「それが次のプレーにずるずる引きずってしまうとよくないので、『まあいいかっ』みたいな感じで」
確かに極限の緊張状態でキックするわけですから、もしも失敗しても、それを引きずっていたら、もうその時点で負けてしまっている、と言っても過言ではないでしょう。(筆者)
楽観的な性格は沖縄で培われた
ラグビーの練習をしている子供たちに混じってボールを投げる田村さん。
初めての出会いなのに、ずっと前から子供たちと知り合いのような雰囲気です。
田村さんにとっての沖縄は、楽観的な性格を作ってくれたアナザースカイであったわけです。(筆者)
田村さん、
「まずはもう本当に(ラグビーを)楽しむことですね」
「どんどん友達も増えていくでしょうし、たぶん、その友達と(ラグビーを)やるのが一番楽しいと思うので」
「そこをしっかり大事にして、そしたらどんどんまたその次のステージも、ラグビー続けたいって思ったら」
「どんどん技術が必要になってくるんで、それ(技術の向上は)はいつでもできるんで、本当に楽しむことが一番」
それしかありませんね。楽しめないと続きませんから、続けるためには楽しむことが一番重要です。(筆者)
W杯ベスト8の次の目標は?
田村さん、
「まず日本一になりたいですね。それ以外のW杯出るとか、W杯でベスト8行くとか」
「普通のラグビー選手では、なかなか経験できないことをさせてもらっているんですけど」
「日本一にまだなったことないから、日本のチームでなったことないので、そこは取りたいですね」
田村さんは日本ではキヤノンイーグルスに所属していて、まだ日本一になっていないので、それが今の目標というわけです。常に目標を持つことの大切さを教えてもらった気がします。(筆者)
田村さん、
「4年サイクルで僕考えているんで、日本から離れるチャンスもあれば、行きたいですし」
「その先のW杯もチャンスがあればと思っていますけど」
「(次の)W杯に行くにしろ、行かないにしろ、4年間はいい目標を持ってチャレンジしないと」
「じゃないと、多分、成し遂げたことが大き過ぎて、多分、あんまりやる気でないと思う、それだったらよくないので」
田村さん自身も、今回のW杯での成果については、夢のまた夢を掴んだという気分なんでしょう。
その気分に浸っているだけでは、次へのステップへ進めないことをしっかりと理解されているのが、さすが一流選手としての考え方ですね。(筆者)
ラグビーとは
田村さん、
「世界一楽しい仕事じゃないですかね」
「世界一楽しい、幸せな仕事」
沖縄のアナザースカイ
アナザースカイは、誰にも教えたくない滝。
沖縄の川を登るトレッキング。
田村さん、
「アクティビティも兼ねてというか、一応運動にもなるじゃないですか」
「でも、オフでもやっぱ、ちょっと動きたいんで」
「ジェイミー(日本代表ヘッドコーチ)になってから、けっこう休みもくれるようになって」
「2週間くらい、ラグビーを全く考えずにこういう所来たりして、運動も兼ねてリラックスしながら、みたいのはありましたけど」
「でも、ゼロ(ラグビーを考えない)になることはないですね、なかなか」
休み中のトレーニング
「だから、休み中も代表でトレーニング何分しましたかって、入れなきゃいけないんですよ、入力(パソコン)」
「そういうのがあって、これ(トレッキング)行って帰って1時間じゃないですか」
「だからトレーニング、今日1時間(パソコン入力)やってました」
オフでもトレーニングだけは欠かせないように、いろんな工夫をされてきたようです。
それにしても、意外とおおざっぱな田村さんですね。本当に根っからの楽観的な性格なのでしょう。(筆者)
見た目とギャップ
今田さん、
「見た感じで言うと、田村選手って完璧主義っぽいですよね」
広瀬さんも、
「そうですよね」
今田さん、
「これぐらいええやろっていう、緩さも持っているっていうのは、最強じゃないですか?」
田村さん、
「私生活は、本当、妥協の嵐」
「まあいっかばっかで、ドタキャンとか、予定変更、キャンセルとか多い」
今田さん、
「ドタキャンする!?絶対しなさそう」
「待ち合わせ一番に来ていそうなのに」
田村さん、
「1時間遅刻してきます」
今田さん、
「自由人なんですね、結構」
田村さんのおおらかさこそ、沖縄らしい部分なのかもしれません。(筆者)
見逃したときについて
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