地方で最初の独演会
若き頃の志らくさんを支えてくれた街、仙台です。
アシスタントは日本テレビアナウンサー岩本乃蒼さん。
仙台が東京以外で初めて独演会を開催した場所。
親友ができた街
千体観音を参拝しながら、当時を語る。
志らくさんの親友がいた街が仙台。
駆け出し時代に、仙台の居酒屋で独演会を開催。
早稲田大学の落語研究会出身で、仙台で電力会社勤務の故渡辺さんと親交を深めた。
落語が大好きな同年代の人がいたことは、立川志らくさんにとって運命との出会いだったのかもしれません。人生の中には必ずそのような機会があるようです。(筆者)
プロフィール
立川 志らく
たてかわ しらく
1963年生まれ
東京都出身
落語家
笑いを深く考えた頃
宮城県栗原市
栗駒山
世界谷地
電力会社から紀行文の依頼を受けて、台風の中取材。2001年9月11日、ニューヨーク同時多発テロが起きた。
志らくさんが9月11日から半年前に、ニューヨークに遊びに行っいたことで、
「(9.11を)落語家ならでは伝え方をしました」
牛タン山梨
http://www.gyutan.com/introduce.html
元IBC岩手放送アナウンサー伊藤美幸さんは、2001年から13年間ラジオ番組で、志らくさんと共演。
伊藤さん、
「志らくさんは本当に思っていることしか言わない」
自分の中にある言葉を落語家らしい表現をすることを大切することが、立川志らくさんにとって大切なのでしょう。(筆者)
菖蒲田海水浴場
カフェレストラン
SEA SAW
東日本大震災直後に落語
2011年3月17日
震災から6日後、仙台で独演会を開催
停電になるかもしれない状況で開催。
志らくさん、
「(東京で震災後も)サラリーマンは満員電車に乗って会社に行っている」
「なぜ行くかというと、仕事だから」
「私も落語をやるのが仕事だから、お客が一人もこないんだったらやらない、一人でも二人でも来るんだったらやる」
500人位のお客さんが来場。
志らくさん、
「笑ってる場合じゃないだろ、でもそうならかった」
「お客さんと価値観が共有できた、その時間だけ同志になったような」
当時の会場に、宮藤官九郎さんが来ていた。
志らくさんの落語をみて、笑いの凄さに感動し、連続ドラマの内容を人情話から喜劇に変更、「あまちゃん」が生まれた。
立川志らくさんが言う通り、もしも当時仙台で落語会を開いていなかったら、あのドラマはなかったかもしれません。それだけ強い印象を与えたわけです。(筆者)
落語とは?
志らくさん、
「楽しいことばかりじゃない世の中って」
「(落語は)人生の一番ダメな部分をずっと描いている」
「(人生は)辛いこと、嫌なことばっかりだけども」
「その中で、一度か二度良いことあったらば、それで良いじゃないか」
「後ろに行くわけにはいかないから、とりあえず前に一歩ずつでも進めば良いじゃないか」
今回のアナザースカイでは、辛いことや嫌なことから、笑いが救ってくれることを立川志らくさんを通じて再認識する機会となりました。(筆者)
テレビに出る
2011年11月師匠の立川談志が他界。
志らくがテレビに出ないで高座で活躍していたのから、一転しテレビに出るようになった。
テレビを嫌っていた志らくさんにとって、テレビの良さが50歳過ぎてから気づいた。
仙台とは?
志らくさん、
「青春」
今回のアナザースカイでは、日頃の知ることのなかった。立川志らくさんの仙台への思い入れがしっかりと伝わってきました。(筆者)
見逃したときについて
こちらで、見逃したときにどうすればよいか?を説明しています。
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