スーパーモデル
今回のアナザースカイⅡのゲストはモデルの富永愛さん。
MCの広瀬アリスさんがいつもになく緊張気味。
「私の芸能人生でまさかお会いできると思っていなくてですね、今、冷や汗すごーいです」
MCの今田耕司さん、
「そういう存在!?」
広瀬さん、
「モデルさんでは、すごいカッコいいなって思いながらずっと見させて頂いてました」
モデルの中では雲の上の存在の人(スーパーモデル)なので、そのような人に出会える広瀬アリスさんの緊張は普通じゃなありませんね。(筆者)
パリ(2020年2月ロケ)
冨永さん、
凱旋門のそばを歩きながら、
「凱旋門って意外と遠い存在なんですよね」
「あんまり来ないので、通るだけだったりとか、登ってもないし」
「パリの象徴的なものなんで、あぁパリに来たなぁとは思うけれど」
あまりにも近くにありすぎると、いつでも行けるという気持ちになって、行かないこともよくあります。(筆者)
初めてのパリの頃
冨永さんは、18歳のころに初めてパリを訪れた。
冨永さん、
「(当時は)その前にニューヨークのファッションウィークをやってて、その次にパリのオートクチュールに来たんで」
「まだ良く分かってなかったと思うんですよね」
「ただ何か、やってやる!!って思ってたのは確かです」
18歳という年齢では、ガムシャラに前だけを見て進んでいくのが普通ですから、冨永愛さんもその頃は、ただ自信を持って、ひたすら前を見ていたのでしょう。そのとき感じたパリは、当時の冨永愛さんにとってアナザースカイでした。(筆者)
プロフィール
冨永 愛
とみなが あい
1982年8月1日生まれ
神奈川県出身
モデル
15歳でデビュー。
世界4大コレクションで活躍するスーパーモデル。
17歳の時、高校の制服を着た写真がVOGUE JAPANに掲載されてから、本格的なスタートを切り、ニューヨークコレクション、パリコレクションでデビューを果たす。

移動はメトロだった
パリコレデビュー当時、パリでの移動はメトロを利用していた冨永さん、
「ずっとメトロ乗って移動してましたね」
「最近乗ってないですね」
「でも(道は)凄い混んでるから、メトロの方が早い場合があるんですよね」
地下鉄の電車に乗るとき、ドアを自分で開ける。
「一番最初、確か、知り合いに乗り方教えてもらったんだと思うんだよね」
日本では当たり前の自動ドアでも、海外ではそうではないことは良くあります。(筆者)

地下鉄に乗って思い出すことがある。
冨永さん、
「ヒールを履いて、キャスティング(オーディション)を受けるっていうのが基本なんですよね」
「ヒールを履いてずっと移動できないじゃないですか、大変だから」
「スニーカー履いて、ヒールを持って行く、私もそれをやってましたよ」
「2週間ぐらいあるファッションウィークで、1個の靴が擦り切れるぐらい歩く、ダメになるぐらい歩く」
ひたすら移動しながら、ただ次の出演を期待していた頃の10代の少女の気持ちが、何となく伝わってきそうです。(筆者)
恩人
冨永さん、
「その当時にずっとホームステイさせてもらってた、お家の人に会いに行きます」
「本当にお世話になった」
「その時、ちっちゃい兄妹が居たんですけど、すごいちっちゃかったんで、今はもう大人ですからね」
恩人(ホストファミリー)の金子有里さんと息子の光太郎さんが迎えてくれる。
家庭料理を楽しむ。
当時のことを振り返る冨永さん、
「怒涛のように過ぎていったファッションウィークで」
「仕事の話はね、そんなにしないけど、温かくちょっと離れたところから見守ってくれてる感はありましたね」
「それが楽で、夜中の2時とかさフィッティングに出なきゃいけなかったりとか」
朝も早いときもあって、それを陰で支えてくれていたホームステイがあったことは、大きな心の支えになったでしょう。(筆者)
孤独との戦い
冨永さん、
「常に戦いっていうか、やっぱり孤独な戦いなんですよ」
「一人で海外まわって、一人でキャスティング受けに行って」
「ゆっくり友達と会う時間もないし、友達ももちろんいないわけだから」
「凄い孤独な戦いでしたね」
恩人の金子さん、
「10代で一人で頑張ってるとかって思うと、やっぱり、『うぅっ』てなりますよね」
海外でモデルとして活躍するには、自分との戦いに勝たないといけないわけです。それに勝った人だけだが、ステージへの第一歩を進んでいけるのでしょう。(筆者)
パリ以外はホテル
冨永さん、
「パリはホームステイ先があったんですけど、ミラノとニューヨークとロンドンはなかったので、その時はホテルで一人で」
「英語もしゃべれなかったから、その時インターネットないから、寂しかったですよね」
今田さん、
「今みたいに、携帯でポチポチとかいかないんすもんね」
冨永さん、
「ラインとかできないですからね」
今田さん、
「もちろんタクシーも呼べないし、ウーバーもないし」
「一から体験しながら学んでいくみたいな」
冨永さん、
「英語を学びながら、同時にファッションの世界を学んで、こういうもんなんだっていうのも身に付けながらやってましたね」
今田さん、
「身体で覚えていって、パリで少しだけホッとできるっていうか、ホームステイ先があるっていう・・・」
冨永さん、
「そうですね」
日本との連絡手段が国際電話だけという時代に海外でいると、本当の意味での自分を強さや弱さを知るきっかけになったのではないでしょうか?ある意味、ネットがなかった頃の海外こそがアナザースカイと言っても過言ではないかもしれませんね。(筆者)
ギャラリー・ラファイエット(Galeries Lafayette)

出典:Google
冨永さん、
「日本だとデパートってあんまり来れなくて、靴のサイズもないし、洋服のサイズも無いので、あんまり(日本で)買物するものが無いんですよ」
「だから、フランスは靴のサイズ売ってたりとか、26cmなんですけど、26cmって日本で売ってないから」
スタッフが靴の好みを聞くと、
「基本的にフラットですね、ヒールのある靴はあんまり普段から履かないですね」
さりげなくフランス語と英語を使いながら買物するのがカッコいいです。(筆者)
16区
20代のころ暮らしていた街。
※パリの高級住宅街16区。
滑り台がある小さな公園を訪れた冨永さん。
「ここの公園は息子が小さい時によく一緒に遊んだ公園で」
「(住んでたのは」12年前ぐらいですかね」
22歳で長男を出産。その後もスーパーモデルとして活躍。
現場に子供を

冨永さん、
「海外にいるときは割とみんなすごい寛容なので子供に、だから現場に子供連れて行ったりとか全然できたし」
「やっぱり仕事柄いろんな事情があるので」
「それでもやっぱり出来る限り子供のことを見ていたいな、というのはあったので」
「ただやっぱり海外を行き来するっていうのが割と大変で、やっぱり(子供を)置いてかなきゃいけなかったいうのもあるし、一緒に行ってた時もあるんですけど」
「それが一番大変でしたね」
子育てながらミラノ、パリ、ニューヨーク、ロンドンの世界4大コレクションで活躍。
モデルという超厳しい世界で、子供を育てながら続けるのは並大抵のことではなかったでしょう。それをやり遂げることができたのは、モデルという仕事への情熱があったからに違いありませんね。(筆者)
市場
冨永さんが20代の頃に通った市場。
「週2回マルシェ(市場)やってるんですけど、マルシェで野菜とか魚とかお肉とか、買い物して暮らしてました」
「結構、オーブン料理を作ってましたね、こっち(パリ)にいたときは」

出典:http://www.goodmorningparis.fr/
「魚を丸ごと売ってるんで、それをオーブンで野菜と一緒に焼いたりとかしてましたね」
「昔はマグロとかも売ってるんだけど、トロの部分をこっちの人は捨てちゃってたんですよ」
「そのマグロのトロの部分を、『捨てちゃうんだったら安く譲って』って言って、トロを安く食べてまたした」

出典:http://www.goodmorningparis.fr/
トロを安く食べられるなんて、日本では考えられないですね。国が変われば味覚も変わるので、意外と海外では日本の高級食材を安く食べられるチャンスがあるのかもしれません。
それにしも、冨永愛さんは料理が好きみたいですね。(筆者)
モデルとしての食事
今田さん、
「モデルさんですし、体型維持というか、食事はだいぶ気を遣いました?」
冨永さん、
「この歳になってから更に気を遣うようになりましたね」
今田さん、
「今一番、主に摂ってる食材は何なんですか?」
広瀬アリスさん、
「聞きたい、めっちゃ聞きたいです!!}
広瀬アリスさんの目の色が変わって、真剣に聞こうとする姿勢がまるで子供のようです。(筆者)
パセリ
冨永さん、
「最近はパセリをよく食べます」
今田さん、
「パセリ!無理ぃ~」
広瀬さん、
「パセリ、意外な」
冨永さん、
「パセリって、苦手な人一杯いると思うんですよ」
「パセリをメインにサラダにするんですよ」
「すごい栄養が豊富で、鉄分もあるし、ビタミンCもたっぷりだし」
「体の抗酸化作用を抑える、アンチエイジングになる栄養もすごく入ってるから、と思って最近よく食べてます、パセリは」

パリコレ2020
2020年2月24日~3月3日。
冨永愛さんはフロントロウに招待される。
※フロントロウとは観覧席の最前席で、招待客のみが座れる場所。
7ブランドからフロントロウに招待された。
ANREALAGE
Chloe
NINA RICCI
Olivier Theyskens
Stella McCartney
THOM BROWNE
VALENTINO
世界最高のファッションショーで輝いていられるのは、正にこれこそアナザースカイと言えるでしょう。(筆者)
10代の夢は女将!?
ホストファミリーだった金子さん、
「本人は去年話した時には忘れてたけど」
「私(冨永さん)お金貯めたら、旅館の女将とかやりたいって言ってたんだけど」
「多分その時(10代の頃)は別にモデルに対して、執着してなかったじゃないかな~とかって、思うんですけどね」
冨永さん、
「モデルがね、3年が賞味期限って言われてて、凄い人気が出た時に、you so beautifulとか、amazingとか、stunning(華やか)とか」
「やっぱり褒めちぎるのに、3年ぐらい経って、雑誌とかショーとかに出なくなった途端に、見向きもしなくなるみたいな」
「そういうのをずっと見てきたので、いつか自分もそういう風になるだろうなって思ってたし」
「だから長いことやりたくないってずっと思ってたんですよ」
世界のトップモデルたちが凌ぎを削る世界で、やり続けることに対して、当時(10代の頃)はそれほど自信を持てなかったのでしょう。でも、それが却って力を抜くことになったのではないでしょうか?力を入れすぎないことが長く続けられるコツなのでかもしれません。(筆者)
ランウェイを歩く
10年ぶりにパリコレをランウェイを歩く夢を叶える。
冨永さん、
「長いこと10年以上ランウェイを歩いてきたので」
「やっぱりもう1回やりたいって思う気持ちは、純粋に湧き上がるものはありましたよね」
「ブランクって言ったらあれなんだろうけど、結構空いちゃってるから、とりあえず会いに来てっていう風には言われています」
「ショーに出るっていうのはこれから、半分ぐらいは決まっているというか50%決まっている状態で、これからフィッティング行ってどうするか?みたいな」
キャスティング、フィッティングの準備を済ませて、ランウェイに行けるのがショーの世界。
トップモデルでも確実にランウェイに出られるのかは、行ってみないと分からないほどパリコレの壁は高くて厚いというわけですね。(筆者)
外れる時もある
冨永さん、
「キャスティングがあって、フィッテイングがあって、ランウェイじゃない?」
「でもフィッテイングをやったとしても、外れる場合がある」
「決定じゃなくて、大体こっちの場合は、前日の夜ぐらいにならないと、ちゃんと全ての決定が出ない」
今田さん、
「前日の夜!!」
「吉本の芸人やん、仮スケジュール、前日バラシ」
意外とパリコレと吉本との接点があるのが不思議です。エンターテインメントの世界はその瞬間になってみたいと分からないのは、世界共通なのかもしれませんね。(筆者)
人を引きつける何かとは?
冨永さん、
「何が正解なのかわからない」
「どれだけポテンシャルが高くても、身長が高くても、手足が長くても、やっぱり上手くいかない子もいるし」
「じゃ何がって言ったら、人を引きつける何かなんですよ」
「内から湧き出るモノなのか、それとも外見的なモノなのか、私も今だに分からないです」
「ただやっぱり魅力的でないといけないのは確かで、そこを私たちは模索しているんだと思うんですよ常に」
さすがに答えはなかなか出ないのでは?人を引きつける魅力はその人の持って生まれたものなのかもしれません。そうなると、努力だけでは解決できないわけです。人それぞれ適材適所に合ったものを自分で見つけ出して、それを極めるしかないのでしょう。ちょっと厳しいですが・・・。(筆者)
不安を味方にする
冨永さん、
「(モデルになるには)不安ではあったけど、その不安とずっと戦ってきたから今でも」
「そこを乗り越えて踏ん張るというのは、割と慣れてはいるんですよね」
「その時の気持ちと同じような感じで今回(パリコレに)来たんで、それもまた懐かしいなって思いましたよね」
不安をマイナスに捉えないで、味方にしてしまう考え方ができるというのは、よほど強い気持ちがないと無理でしょう。トップモデルになるためには、気持ちが人一倍強くないといけないことを、教えてくれているような気がします。(筆者)
カッコいい自分
冨永さん、
「37(歳)で今年38(歳)で、パリコレ復帰ってカッコいいじゃん」
「なんかそういうのをやりたかったんですよ」
「その歳でモデルで、パリコレ復帰してるアジア人っていないから、めちゃくちゃカッコいいじゃんって」
自分で自分を褒めるコツをしっかりと持っていますね。冨永愛さんにとって、自分を褒めてあげることで、緊張がほぐれて、それがパフォーマンスに良い影響を与えているようです。(筆者)
続ける理由
冨永さん、
「やっぱりモデルが好きだからっている事ですよね」
「好きだからこそやりたいって思う気持ちがあるし、やるべきだなとも思うっていうね」
「本当に求められなければ、出れるものでもなし、どれだけ日本でモデルやってたとしても」
「可能性的には、出れない可能性も十分にあったと思いますよ」
「だからこそやる意味があるんだと思うし、やる意義があるんですよね」
出られるか出られないか?はやってみないと分からない状況なのに、好きだからという理由だけで、やろうとするシンプルな気持ちを持つ。それが結果に繋がっています。やはり、余計なことを考えずに、やりたいことにフォーカスすることが大事だということを、教えてもらえたようが気がします。(筆者)
冨永さん、
「夢はずっとモデルで居続けることなので、それは凄い大変なことだと思うんですよ」
「果たしてファッションの世界がそれまであるのかどうかも、わからないじゃないですか」
「でも無くなって欲しくないから、みんな凄い努力をしてるんだけど」
「本当にファッション業界がある限り、自分が生きてる限り、何歳までできるかわからないけど」
「モデルでいるのがやっぱり幸せかな、私は」
すごい一言です。いくつになってもモデル居続けようとする揺るぎのない想いが伝わってきます。冨永愛さんにとってモデルとしての自分があって、他の自分がアナザースカイ(別の自分)と言えるかもしれませんね。(筆者)
パリはどんな場所
今田耕司さん、
「冨永愛さんにとって、パリはどんな場所でしょうか?」
冨永さん、
「難しいな~」
「パリは・・・私にとってのパリは、母親みたいな場所」
「温かくもあり、厳しくもあり、本当にいろんな自分を逆に見せてくれたパリですね」
今田さん、
「育ててくれたんですね、じゃ、モデルとしても」
「パリは絶対にありますからね」
「また母のもとに行って頂きたいと思います」
パリは人を変える街であることは間違いありませんね。(筆者)
番組で流れた曲(BGM)
番組で流れたBGMで、パリコレの気分になれるような曲をご紹介します。
Ava Max – Salt
Surf Mesa – ily (i love you baby) (feat. Emilee) (Visualizer)
Katy Perry – Daisies
見逃したときについて
こちらで、見逃したときにどうすればよいか?を説明しています。
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